今回は、「視点という教養(リベラルアーツ) 世界の見方が変わる7つの対話」(2022年)を読みました。
どの話も本当に面白かったのですが、特に仏教、教育、脳科学の気になった話をまとめたいと思います。
本書の一環したメッセージとしては、いろいろな視点があるよねっていうのを知りましょうというのがあるのですが、私たちは西洋思想OSで物事を見すぎているのではないかと言うことを気づかせてくれました。
ここで言うOSとは、時代ごとに社会のベースとなる考え方を指します。このOSは常にアップデートしていかなければならないのですが、近年、特にその変化が早くなっています。

私たちの社会でもある「西洋哲学(思想)OS」は、一神教であるキリスト教をベースにしているため、自分の行動は神に説明できなければいけない→非常に合理的な人間になる可能性がある、ということでした。確かに、合理性、 目的達成のために論理的で無駄がなく、効率的な手段を選択する性質や考え方でなければならないという雰囲気や圧力が現代社会にはありますよね。
一方、仏教の考え方は東洋哲学です。大乗仏教の根本思想は、「唯識」、あらゆるものは、個人の認識によってのみ存在しているという考え方と、過去記事「仏教の教え」でも学んだ「空」だそうです。
仏教では「私」と「他者」をセットで考えます。なぜなら、「私」が認識することによって他者が存在するし、他者が存在することによって、「他者でないものとしての私」が確定するからです。
そして、「私」を含めたすべてのものは実体を持っておらず、可能性でしか存在できません。それが、仏教での自我の考え方で、「私」も他者も物質も、本当は実体がないということです。
そして、お釈迦様は「苦」について考え、何かに期待するから、失望、つまり苦が生じるということに気づきます。だから期待してはいけません。そのこと自体に実体がなく、さらに自分さえ実体がないのだから、実体がない私が実体のない他者に対して「こうあってほしい」と願うのは愚かであるというのが仏教の考えになります。
なぜ大乗仏教が日本に入ってきたのかという話も、とても納得できて、勉強になりました。
教育の対談では、「卒近代」という話が心に残りました。「卒近代」とは、過去を否定するのではなく、感謝と郷愁をもって近代を卒業するということです。
近代とは、商工業者が人工物を作ることに大きな価値を置く、大量生産、大量流通、大量消費の文明でした。日本も明治維新で富国強兵をスローガンにしましたし、第2次世界大戦後も「富国」は残りました。しかし、物質の豊かさを求めるのは、そろそろいいでしょうということです。近代社会の限界として、大量廃棄や大量のエネルギー消費など、弊害のほうが目立つようになっています。

この考え方には、全く同意見ですね。そして、この価値観は「ミスを見つける力」ばかりを養う大学入試に根元があるということで、入試制度改革をされているということでした。世の中は答えのない問題ばかりなのに、正しい答えを無駄なく効率的に見つけようとする西洋思想OSを書き換えようということです。これからの社会を作っていく若者たちにとって、すごく大事なことだと思いました。
脳科学では、過去記事「自由エネルギー原理」の著者さんが登場しました。
脳は推論することで目の網膜に映った映像を3Dに認識していることは、さまざまな実験や脳に障害を持つ方の研究から明らかとなっていて、再度、脳ってすごいなと思わされました。そして、目と同じように、胃は脳に胃の生理的状態を表す信号を送ります。それをもとにして、脳は胃の状態を推論しているのだそうです。別に胃そのものが「痛い」と思っているわけじゃないという話は、過去記事「洗脳から身を守る方法」で紹介した催眠術のおじいちゃん先生を思い出します。
そして、感情は、体の状態を推論することと、その原因を推論することの2つから成り立っています。自分の体をよくわかっている人は、前向きに生きる傾向があるということで、瞑想の効果についても脳科学的に説明されていました。身体感覚を研ぎ澄ますということは、心の平穏にも効果的なんですね。
本書を読んで、私のOSは西洋思想よりも仏教に近いな、そっちが好きだなと思いました。息子たちを見ていても思うのですが、効率性を重視して成果を出すというのは、子育てではやっちゃダメなんですよね。失敗します。野菜を育てるのもそうですね。子どもたちには子どもたちの失敗する権利があるし、その中で試行錯誤しなければ得られない学びがあるのだと私は思っています。
資本主義はどう終わるのか、どう終わらせるのかというのは、私もずっと考えていることの一つですが、「卒近代」という近代の行き過ぎた生き方をそろそろ卒業する人が増えるのではないかと、本書を読んでなんだか明るい未来を想像しました。

