今回は、「動物たちは何をしゃべっているのか?」(2023年)を読みました。
ゴリラ研究者とシジュウカラ研究者との対談で、すごく面白かったのでまとめたいと思います。

シジュウカラは、見つけた天敵の種類によって鳴き声が違うのだそうです。ヘビなら「ジャージャー」、タカなら「ヒヒヒ」。そして、枝にひもを付けて木の幹沿いに引き上げながら「ジャージャー」を聞かせると、木の枝をヘビと見間違う、つまり、「ヘビ」という視覚的イメージを表しているのだそうです。
しかも、単語を組み合わせて文章を作れるということで、「ピーツピ」は天敵が出たときに使う「警戒しろ!」という意味で、「ヂヂヂヂ」は「集まれ!」という意味であり、「ピーツピ・ヂヂヂヂ」と鳴きます。そしてこれを、「ヂヂヂヂ・ピーツピ」に編集して流すと、警戒しないし、スピーカーにもほとんど近付いてこなかったそうです。つまり、シジュウカラの鳴き声には、意味のある単語や文法があるということなんです。面白いですね。
さらに、冬になると軽井沢のシジュウカラはコガラという別の種類の鳥と一緒に群れをなし、生活します。それに着目した著者さんは、コガラ語がシジュウカラにも通じるのか実験をします。
シジュウカラ語の「集まれ」は「ヂヂヂヂ」ですが、コガラ語だと「ディーディー」になります。そして、コガラが「ディーディー」と鳴くと、シジュウカラも集まるのだそうです。そこで、ルー大柴のルー語のように、「ピーツピ・ヂヂヂヂ」を「ピーツピ・ディーディー」に編集して流しててみたそうです。すると、ちゃんと通じて警戒しながらスピーカーに集まってきたそうです!しかも、「ディーディー・ピーツピ」では無反応だったということで、やっぱり文法が大事なようでした。
私も子供の頃犬を飼っていましたが、類人猿よりも認知のレベルが人間に近いのだそうです。オオカミの赤ちゃんと犬の赤ちゃん、人間の赤ちゃんの認知能力を比べた研究論文では、犬の赤ちゃんはオオカミよりも人間の赤ちゃんに近いと書かれていたそうです。また、意図を他の個体に伝える必要性と共に進化したと言われるくっきりとした白目も、人間に飼われるようになってから犬だけに起こった進化だと言われています。

犬は自ら家畜化したと言われますが、人懐っこいギンギツネの個体だけを選んでかけ合わせることを繰り返した結果、40世代くらいで犬みたいになってしまったという研究からも、犬のこういった変化は納得ですよね。
動物を研究する著者さんたちですが、動物にはストーリー化する力がほぼないと感じるのだそうです。動物と人間の言葉の一番の違いは、「今」「ここ」にないものを語れるかどうかであり、動物は、個別のスナップショットをストーリーでつなげて頭の中で再現することはないということでした。言語化により個別の記憶をストーリーにする力を得た一方で、人間は世界をあるがままに見ることができなくなったと言います。
たとえば、あそこに大きな木の板があります。でも、あれを「木の板」と見ることはできません。「ドア」という意味が先に来てしまいます。
さらに、未来志向なのに過去にとらわれているというパラドックスもあるのではないかと述べます。AIがそうであるように、未来を精緻に予測しようとすればするほど、過去にとらわれるということです。幸福というのは文字や数式では記述できませんが、このような、予測不可能なものや再現性がない、身体性を伴った感覚や経験こそ大事にしないといけないのではないかということでした。
ゴリラの話が全く出てきませんでしたが(笑)、ゴリラや他の猿の話も面白いので、興味のある方はぜひ読んでみてくださいね。
人間と動物との違いは記憶をストーリーにできるかどうかであるというのは、とても面白い発見だったし、それを可能にしたのは「言葉」であること。そして、言葉をお互いに理解するためには、脳の発達だけでなく、発声器官の形態や、子育てを助け合わなければ生き延びることができない環境なども影響していたことを学びました。
過去や未来にとらわれず、「今を生きる」というのは、言葉、つまり左脳で世界を見るのではなく、動物のように感覚、右脳で生きるということだということが改めて理解できましたし、左脳と右脳の両方を使って、時には動物のように生きていきたいと思いました。
