今回は、「人間とは何か 自己啓発の劇薬 マーク・トウェインの教え」(2022年)を読みました。
Wikipediaで調べてみると、
マーク・トウェイン(Mark Twain、本名:サミュエル・ラングホーン・クレメンズ(Samuel Langhorne Clemens)、1835年11月30日 - 1910年4月21日)は、アメリカ合衆国の著作家、小説家。ミズーリ州出身。『トム・ソーヤーの冒険』の著者として知られ、数多くの小説やエッセーを発表、世界中で講演活動を行うなど、当時最も人気のある著名人の一人であった。ユーモアと社会風刺に富んだ作品で知られる。
と書いてあります。本書は彼が亡くなる四年前に「匿名」で出版した作品であり、「遺言」のような作品だと言われているそうです。
本書は老人と若者の対話形式で話が進みます。そして、対話の中で老人は「人間は機械である」と説きます。外界から得られた刺激に対して機械的に脳が判断して反応しているだけであり、常に自己中心的である。そして、それは、動物も昆虫でさえも同じではないかと説得していきます。
それに対して若者は、他者への献身や自己犠牲は自己中心的とは言えない、人間の崇高な行いだと主張します。しかし老人は、己の精神的安らぎを得るためであれば、何だってする、それが自分の命を投げ捨てて溺れた子どもを助けるという行為であっても、と説明するのです。
人は日常的に他者のために犠牲になる、だがそれは、自分自身のためであることが第一だ。その行為が自らの精神を満たすことが第一なんだ。
つまり、自分の主様(肉体ではなく、感情でもなく、自身の精神)を満足させるために人間は機械的に判断し、行動しているということです。
これは、聖職者であっても、犯罪者であっても同じです。社会一般に良いことなのか悪いことなのかは関係ありません。もともとその人間が持つ「気質」と、それまでの人生の中で受けてきた「外的影響」により、機械的に、自動的に判断されると説明します。
例えば、シェイクスピアは数々の名作を残しましたが、イギリスという彼が生まれ育った環境がなければ生み出されるはずもありません(外的影響)。また、元々優れた「気質」を有していたというのも否定できないでしょう。
彼も機械だっただけで、機械には創造なんてできないのだよ。
周囲からの影響次第で好みや嫌悪、政治論、趣味嗜好、道徳観、宗教観なんかが創られる
となると、外部からの影響によりその人の価値観が創られることになります。良い種類の訓練は、被訓練者に満足感をもたらすたびに、二番目であれども、他者にも利益をもたらすのだそうです。
自身の精神を満足させるために自分は行動しているということを認め、自分が満足し、かつ周囲に利益がある行動を選ぶことが重要なんだと理解しました。
過去記事「意志はどこにあるのか」や「自由エネルギー原理」で学んでいたので、拒否反応どころか、むしろ、やっぱりそうだよねという印象でした。
シェイクスピアであっても「作品を一から創造したのは私だ!」などと自己の功績を誇ることはできない
本書を読んで、一番心に触った部分です。誰かと優劣を比べたり、人よりも偉いと錯覚したり、自分の功績だと自慢したりということがとても愚かな事だと、より深い次元で気づけたような気がします。