今回は、「オードリー・タン 自由への手紙」(2020年)を読みました。
オードリー・タンの本は過去にも読んだことがありますが、とにかく色々と凄すぎて、次元の違う人という印象です。小学生の頃、IQテストを受けたら高すぎて測定不能だったとか…
彼女の描く未来について、考えたことをまとめたいと思います。
オードリータンの目指す自由な姿は「ポジティブ・フリーダム」だそうです。
「ポジティブ・フリーダム」とは、自分だけでなく他の人も解放し、自由にしてあげること。
みんなが自由になるにはどうすればいいのか、具体的なToDoを考えること。
自分の可能性を力に変え、その力を誰かのために役立てることです。
一般的に「フリーダム」からイメージされる、個人として既存のルールや常識、これまでとらわれていたことから解放され、自由になることは「ネガティブ・フリーダム」なのだそうです。オードリー・タンの考え方の中には、常にみんながという部分が出てくるのが印象的です。
大臣という仕事上、市民から怒りを向けられることも多いかと思いますが、オードリー・タンに言わせると、「怒り」は「蛍光ペン」なのだそうです。デモや運動などが起きている問題は、今解決しなければ次には「無力感」が訪れると言います。とりわけ格差問題はどこも深刻な問題であり、その解決策としてオードリー・タンは以下のような考え方を話していました。
①自分へ問いかけをする
②広げる行動をする
格差を系統的に減らそうと思うのなら、単独で行動するのではなく、ハッシュタグという「声」を出し、広げ、巻き込んでいくことです。
怒りは拡散しやすく、増大しやすいものです。アイスバケツチャレンジのように、人々が不平等に対して声をあげることを制するのではなく、良しとする姿勢が伺えます。
オードリー・タンは4~5歳の頃に「ドラえもん」を知り、夢中になったのだそうです。そして、この「ドラえもん」こそ、支援のAIのモデルかも知れないと言います。「今いるのび太の世界」ののび太がうまくなじめるようにするのがドラえもんの役割であり、のび太がのび太らしく成長できるよう手伝ってくれる、つまり、社会になじめない人々を支援するAIのモデルだという訳です。
そして彼女はAIの発展は脅威ではないと述べます。その理由としては、テクノロジーで労働力を補うことができる、テクノロジーは認知労働も供給しうるということですが、私たちが自主性や相互関係、共有の価値観などを大切にするのであればそれは補助的なものにしかならないということです。プログラミングやライティング、データ分析であれ、「その技術こそが自分だ」と考えてしまうとAIは脅威になってしまうと指摘します。
台湾は「社会民主主義国家」であり、社会主義と資本主義が共存していると述べます。
公共サービスは最も大変な状況にある人達の声に耳を傾け、彼らの考えを反映させるという根本的な考え方に沿って公共サービスが行われ、ベーシックインカムについても協議されているということでした。
過去記事「リベラリズムからポスト資本主義」でも、資本主義のその先について様々な考え方があることを学びましたが、台湾の動きにも注目していきたいと思いました。
本書を読んで一番印象に残ったのは、やっぱり「ドラえもん」の話です。過去記事「頑張れない非行少年」の問題、認知症や精神疾患を抱える家族の支援など、ドラえもんのように繰り返し繰り返し、その人が社会になじめるように支援してくれるロボットが居れば良いなと思いました。
オードリー・タンの見ている世界の高さが違い過ぎて、とても自分がちっぽけな存在に感じます。もっともっと広い視点で、自分だけでなく他の人も解放できるような人間になりたいなと思いました。