今回は、「アメリカ現代思想の教室 リベラリズムからポスト資本主義まで」(2022年)を読みました。
本を読んでいると、よく「リベラル」という言葉が出てくるのですが、意味がわかっていなかったので、本書を読んで理解したことをまとめたいと思います。
1970年代はロールズの「リベラリズム」と、ロバート・ノージックの「リバタリアニズム」の間の論争だと言えるそうです。
ロールズは、1971年に『正義論』を出版し、その中で二つの原理を提示しています。第一原理は「基本的自由」に関する原理であり、自由があらゆる人に平等に分配されなければならない、と宣言しています。第二原理は、「格差原理」と呼ばれ、社会的・経済的に不平等な社会で、弱者にとって有利になるように命じるもので、不平等の是正を目指しています
ロールズは「生まれつきの才能」を、「共通の資産」と見なして、当人だけのものとせず、社会で「分かち合う」べきだ、と主張するのだそうです。
リバタリアリズムはリベラリズムと同じように、個々人の「善」の追求から出発しているので、広い意味で自由主義(リベラリズム)に属していますが、正当な方法によって獲得した自分の所有物については、身体に対する権利と同じように、エンタイトルメント(権原)をもっていると考えます。国家が個々人の生活に介入して、所得を再分配したり、福祉政策を実施したりするのは、まったくの越権行為であるという考え方になります。
1980年代になると、リベラリズムやリバタリアニズムを批判して、共同体の意義を強く主張する思想として「コミュニタリアニズム(共同体主義)」が台頭しました。NHK白熱教室で有名なマイケル・サンデルもコミュニタリアンの1人です。
個人のアイデンティティは社会的な承認によって形成されるという考えは理解できますが、著者さんも章のタイトルを「コミュニタリアニズムという亡霊」とされているように、何だかつかみどころのないものに感じました。
1990年代になると、リベラリズムのプラグマティズム的転回が起きます。
古典的プラグマティズムは19世紀末の思想で、Wikipediaによると
物事の真理を「理論や信念からはなく、行動の結果によって判断しよう」という思想。 日本語では、「実用主義」「実際主義」「行為主義」などと訳される。
のだそうです。
ローティの提唱する「ネオ・プラグマティズム」では、客観的な真理の探究とされていた「科学」や知識の究極的な基礎である「哲学」を「大文字の科学」や「大文字の哲学」と呼び批判します。
正直、全然わかりません…
「ネオ・リベラリズム」は「リベラリズム」を批判する形で登場し、レーガンやサッチャーがネオ・リベラリズム的な政策を行い現実世界にも影響を及ぼした思想です。
国家による再分配や福祉や公共サービスを縮小し、規制緩和と民営化などを進め、市場原理主義を貫くことであると説明されています。日本でも電電公社の民営化から郵政民営化までネオ・リベラリズム的政策が行われました。
しかし、ネオ・リベラルなグローバリゼーションによって豊かになるはずだった先進国では、中間層がむしろ貧しくなっていったということでした。こちらも、日本の状況と合致しますね。
資本主義の行き着く先は何なのか?これは、私も気になるところです。
1980年代からはリベラルに対抗する保守主義思想である「ペイリオコン」と「ネオコン」の対立が起こりました。「ペイリオコン」は、小さな政府・移民制限・保護貿易主義・孤立主義を唱えるのに対し、「ネオコン」は小さな政府、経済自由主義を求めますが、国際的には自由貿易やグローバリゼーションを推進します。
これに対して、2010年代からシリコンバレーを中心に登場した「新反動主義(NRx)」は、近代的な民主主義や平等思想をも批判する、リバタリアン的思想です。
一方、アメリカの若者は社会主義を求めているとも書かれており、テクノロジーの発展により社会主義を進める「ミレニアル社会主義」も台頭しています。
結局、「リベラル」ってどういう意味だったのでしょうか…1970年代のリベラリズムのことなのか、リバタリアリズムを含む広義のリベラル(自由主義)なのか、ネオ・リベラリズムのことなのか。本書を読んで、「リベラル」と一言で言っても色々な意味を内包していることは理解できました。
私自身はリバタリアンかな。オバタリアンではないですよ!(←分かる人には分かる笑)
今後「リベラル」が出てきたら、文脈で推測していくしかないのかなと思います。