歯科衛生士のよみもの

kindle unlimitedで本を読み漁り、感じたことを考察していくブログです。

修行とは

今回は、修行論(2013年)を読みました。

 



修行とは

 

修業する人は、「自分が何をしているのか」を「しおえた後」になってしか言葉にできない。自分に説明できないことを、他人に説明できるはずがない。他人に説明できないことについて、他人との優劣や強弱や巧拙を論じられるはずがない。

修業というのは「いいから黙って言われた通りのことをしなさい」という類ものです。言われたことをしなかったからと言って、必ずしも師匠から罰を受ける訳でもなく、やったからと言って褒められる訳でもありません。「これをするとこれこれこういう『善いこと』がある」というような説明もなく、「これは何の役に立つのか?」と訊いても「使ってみればわかる」としか答えてもらえません。

著者さんは、修業して獲得されるものというのは、修業を始める前には「意味不明」のものであると書いており、資本主義社会の中で努力と成果を求められて育った私たちには、なかなか理解できない概念だとも言えそうです。

 

 

敵とは何か

 

武道修業の究極の目的は「無敵の探求」です。「敵」とは同じルールで戦う「対戦相手」だけでなく、「私の心身のパフォーマンスを低下させる要素」であると説明されています。腹下しも、インフルエンザウイルスも、加齢現象も、財務状態の悪化も、家庭争議も「敵」に含まれます。

そして、敵を忘れ、私を忘れ、戦うことの意味を忘れたときにこそ人は最強となると説明されています。最強の身体運用は、「守るべき私」という観念を廃棄したときに初めて獲得されるのだということでした。無我の境地というやつですね。

 

 

切迫した状況で、生き延びる

 

本書を読むと、修行、とりわけ武術の修行により獲得しようとしている力というのは、実践的な意味での「生き延びる力」であると言えそうです。オリンピック選手のように、この日の、この時間帯に、身体能力をピークが来るように準備する、というようなことは、戦時では不可能です。

武道というのは、「いつ、どんなかたちで、どんな方向から、どんな文脈のうちで、私たちを襲うのかわからないもの」に備え、道場で稽古をしているということでした。

私たちの生活そのものが、私たちの日々の暮らしが、私たちにとっての戦場であり、舞台の本番であり、生き死にの境なのである。道場はそれに備えるためのものである。稽古は、競ったり、争ったり、恐れたり、悲しんだりすることを免れて、ただ自分の資質の開発という一事に集中することが許された、特権的な時間である。道場はそれを提供するための場である。

 

 

手持ちの資源でやりくりする力

 

レヴィ=ストロースは、「ありものでやりくりする人」を「ブリコルール(bricoleur)」と名づけました。日曜大工とか便利屋とかいう意味のフランス語だそうです。

何か不足したときに、近くのコンビニで買ったり、通販で取り寄せたりすることのできない環境で生きている人は、どのような危機的な事態に遭遇しても、手持ちの資源でやりくりしなければなりません。本書では、長刀→短い差料(脇差し)→32口径の拳銃→万国公法と武器を持ちかえた坂本龍馬のブリコルール性について言及されています。

 

歯科でもブリコルール性って大事だなと思っていて、歯科衛生士にとって、特に保健指導において必要な力だと思います。理想的なセルフケアの道具をすべて揃え、完璧な時間を確保できる患者さんばかりではありませんよね。その人の今の生活習慣(手持ちの資源)を聞き取りながら、『テレビを見ながら』や『口の開け方を変える』などを手持ちの引き出しもフル活用して、柔軟に提案するというのも大事だと思っています。

 

 

まとめ

 

「生き延びる」というのは、私の人生のテーマの一つでもあって、大きな震災が起きても生き延びる準備をしておくことを常に心がけています。ブリコルール、ありものでやりくりする力というのは、便利で効率的な現代では失われつつあるのではないかなと思いました。しかし、不測の事態や正解のない臨床場面で頼れるのは、外部の資源ではなく自分の知恵ですよね。過去記事「ミアシャイマー」でも言っていたように、最悪を想定した準備をしつつ、『創意工夫』を心がけ、変化に強いブリコルール性を目指していこうと思いました。

 

ddh-book.hatenablog.com

 

本書は、何でもかんでも「測定できる成果」を求める現代社会に対して、何か変だなと気づくことができるようになれた本でした。