歯科衛生士のよみもの

kindle unlimitedで本を読み漁り、感じたことを考察していくブログです。

嬉しい・楽しい・幸せ

ここ最近は、小林正観さんの本を読み漁っていました。

 

 

 

 

小林 正観(こばやし せいかん)

 

Wikipediaには、

日本の著作家。心学研究家。コンセプター(基本概念提案者)。デザイナー(SKPブランドオーナー)。歌手。

とあり、本を読んでも、役職や職業に囚われない、つかみどころのない人だなという印象です。学生時代から人間の潜在能力やESP現象、超常現象に興味を持ち、練習するうちにスプーン曲げやカード透視ができるようになったそうです。年に約300回の講演依頼があり、糖尿病になって透析をしながらも全国を回る生活を続けていましたが、2011年10月に逝去されています。お釈迦様の話や般若心経のことがよく出てきますが、別に仏教徒という訳ではないそうです。

私が、この考え方は良いなと思ったところをまとめたいと思います。

 

 

「努力する、頑張る、必死になる」をしない

 

本書では「努力する、頑張る、必死になる」は潜在能力を使う時に邪魔になると説明します。自分が好きで好きでやっていることを「努力」とは言いません。「努力」は語源的にいうと奴隷労働、イヤイヤ何かをするということです。「頑張る」は「我を張る」。 「必死」は「このままいけば必ず死にます」という意味であり、美徳でもなく、奨励されることではないと説きます。

これらの三つを捨てて、「嬉しい・楽しい・幸せ」な状態になり、それを持続することが大事だそうです。「う・た・し」の気分を持続することが、すべての対人関係、すべての現象に対応していくための必要条件であり、超能力を高める秘訣にもなります。

 

 

他人を思い通りにしたい症候群

 

小林正観さんは、旅先でいつも他の客の人生相談に乗っていたそうですが、「他人を思い通りにしたい」という悩みには黙ってバツ印を作って、相手にはしなかったそうです。

 

例えば、「うちの息子が不登校で」とか、「職場の上司が嫌なことを言ってくる」、「恋人が〜してくれない」などです。

「悩み・苦しみって、自分の思いどおりにすることだっけ……? そういうことを悩み・苦しみっていうんだっけ……?」

そんな疑問を抱えているうち、ある時、二千五百年前にお釈迦さまも同じことを考えていたんだと気づいたそうです。

 

 

お釈迦様の教え

 

お釈迦さまが説いた「苦」の本質は、「自分が思いどおりにしたいのに、それが叶わないこと」だと小林正観さんは言います。そして、思い通りにならないことを受け入れることが楽になることであり、自分の思いどおりにしようと思うから、悩み苦しむのですよと言っているのが般若心経になります。

色即是空 空即是色

私たちが色(肉体・物体)だと思っているものは全部「空(存在はするが、特別な性格づけがされているわけではない)」の部分が最も伝えたいことであり、「すべてが空なり。自分の論評・評価、思いが、結局、全部自分の苦悩や煩悩につながっている。」ということをお釈迦さまは後世に伝えたかったのだということでした。つまり、「悩み・苦しみは、受け容れた瞬間から消滅する」ということですね。

 

 

一日千回の「ありがとう」

 

思い通りにならないことを受け入れていつも「嬉しい・楽しい・幸せ」な状態になることで、かなり幸せな人生(悟り)に近づきますが、一気にジャンプアップする方法があります。

 

それは、一日千回「ありがとう」を言うことです。周囲の人やもの、太陽、空気、自分の体の臓器一つひとつなど、ありとあらゆるものに対して「ありがとう」を言います。すると、1ヶ月で3万回、2ヶ月で6万回、3ヶ月で9万回になりますよね。

2万5千回を超えると、なぜか涙が溢れてきて、5万回を超えると心の底からありがとうと言えるようになり、10万回を超えると不思議なことが起こり始めるそうです。がんや病気が治った例がいくつも紹介されていました。

 

1日にたった5個感謝しているくらいで「感謝マスター」になった気分になっていた自分(過去記事参照)がめちゃくちゃ恥ずかしいです。一日千回目を指し、初心にかえって「ありがとう」を一から始めたいと思います。

 

ddh-book.hatenablog.com

 

 

まとめ

 

この小林正観という方、前世でお釈迦さまの弟子だったのではないかという話が出てくるのですが、多分、そうだろうなと思いました。人生で起こることは生まれる前から決まっていて、生老病死、生まれること、老いること、病むこと、死ぬことも、そのまま受け容れるというのがお釈迦さまの教えですが、その通り生きられた方だなと思います。

私もそんな悟りの境地まで達せられるか分かりませんが、今は「ありがとう」をもっと極めていきたいと思いました。