今回は、「貧困と脳 「働かない」のではなく「働けない」」(2024年)を読みました。
本書は、これまで貧困ルポを書いてきたフリーライターの著者さんが、脳梗塞を発症。自身が高次脳機能障害となったことで、これまで取材してきた当事者の声を見直し、「働かない脳」という視点から当事者の声を翻訳し直すという本です。本当に行政や医療福祉に関わる人は全員、絶対に読んだ方が良い内容です。貧困当事者の怠けているとしか思えない行動が、脳の機能障害により起きていて、必死に頑張っているけどできないという状態なのだということがとてもよく分かったので、整理して書いておきたいと思います。

ADHD(注意欠如・多動症)の特性の一つに、ワーキングメモリ(作業記憶)の弱さというのがありますが、高次脳機能障害になった著者さんも、著しいワーキングメモリの弱まりを感じるそうです。レジで値段を見ても、小銭を数えているそばから金額が脳内から消え去るし、仕事の約束も、公共料金の支払いも、次の瞬間には一切消えてしまい思い出せないというので、かなり困難な生活になると想像できます。そして、それは一般的にだらしないと思われる行動となり、以前はできていたのにできないという焦りから、パニックになるというのもよく理解できました。
ADHDやASDでは、過集中とその反動として、疲労感や注意力の低下があることが知られていますが、「脳性疲労」というのは、思っていたよりも深刻な症状のようです。脳梗塞発症から9年経った著者さんにとっても脳性疲労は生活上で最も支障をきたす症状のひとつだということでした。突然、猛烈な頭の重怠さが現れ、頭が締め付けられ、脳に濃い霧が降りてきた感じとなり、
文字が読めなくなる、本が読めなくなる。文章を読んでも意味が頭に入らず、読んだ文字が頭から流れ出していくように感じる。他者の話についていけない、言葉の意味を聞き取れない。考えをまとめようと頑張っていると過換気の発作を起こす。
といった症状を起こします。そして、この症状は著者さんがこれまで取材してきた貧困当事者の中でも、精神疾患を抱える当事者や、発達特性を理由に失職したり社会からドロップアウトした人々から、かなり共通して聞き取ってきたことだったそうです。
障害や貧困の場合、行政のセーフティネットがあるはずですが、役所の申請書類ほど不自由な脳にとって難しいものはないそうです。騒がしい役場の記入コーナーでは、話し声といった妨害情報が入るたびに頭が真っ白になります。そのため、記入用紙を何度も頭から読み返すことになり、
自身の住所の番地や郵便番号、携帯電話番号などまでもがわからなくなり、免許証を見たりスマホで確認したり、記入しても最後に確認すると全然違う数字が書かれていたりという異様な事態に陥ってしまう
ということでした。

記入箇所ごとに指をさして、何を記入すれば良いか教えてもらえれば書けるそうで、軽度認知症の人に対する対応と同じだなと思いました。そして、それは簡単に騙されてしまう人とも言えますね。
さらに、自己説明的、弁解・弁明などのコミュニケーションが非常に困難になるため、『まず相談を受けてから申請』という流れにも大変な困難をきたします。「なぜ自分が思うように働けないのか」「なぜ期待通りに働くことができないのか」「なぜ約束や納期を守れないのか」「なぜ仕事を請けられないのか」。そうしたすべてを職場や仕事のパートナーに対して論理的に説明することができず、当事者をとことん追い込んでしまうのだということでした。
うちの息子もこれはすごく苦手で、聞くわたしもいつも「返事してよ」「はっきり言ってよ」とイライラしてしまっていました。トレーニングとして話をさせようとするのは良いとして、イライラや失望が態度に出るのはダメでした。猛省します。
ネガティブな感情、特に「不安の感情」への過集中症状を著者さんは「不安スイッチ」と呼びます。「不安スイッチ」がONになると、自分でリセットできないばかりか、そのこと以外を考えられなくなってしまうそうです。脳の認知判断機能を著しく奪い、脳性疲労と同じ状態になってしまいます。すると、まさにいま手元で進行しなければならない喫緊の課題まで、全く手に付かなくなってしまうということでした。

不安を伴う課題を直視すると脳がフリーズするし、しまいには、「不安を想起させるもの」を見たり聞いたりするだけでも思考停止してしまいます。そのため、不安から目を逸らすしかないのだと言います。借金の督促状を開封しなかったり、ギャンブルや薬物に依存してしまう、せざるを得ない状況なのが今ならよく分かるということでした。
また、著者さんは奥さんが隣にいてくれるだけでこの「不安スイッチ」が入らず、目の前の課題をちゃんと行うことができることにも気づいたそうです。ただ信頼できる人が側にいるだけでいい、それが支援になるのだということを学びました。
著者さんが難しいと感じるのは、外部の情報を取り込んで処理判断する作業で、子ども向けの折り紙教本が読めなかったり、集金袋を作ることができなかったりしました。しかし、これまで培ったものはこれまで通りできます。著者さんは脳梗塞発症後12日で最初の闘病記『脳が壊れた』の企画書を担当編集者にメールしており、本書だって書ける訳です。
1人ひとり経験も異なるし、後天的なものなのか、先天的なものなのかでできることは全く異なります。当事者本人も支援者も、何ができるのか、できることを知ろうとすることが大事なんだと分かりました。
怠惰・怠慢にしか見えなかった行動が、実は脳の不自由さによるものかも知れないというのは本当に新しい気づきでした。そして、脳に障害が起きていると言われるようなもの、例えば被虐待児、精神疾患、ADHD、ASD、認知症、脳梗塞などで共通してみられる症状である、共感の声が多数寄せられているというのは、自分も他人事ではないということを示しています。ノーマライゼーション、誰もが同等に生活ができる社会を目指すという考え方においても、本書で学んだような脳性疲労や極端に少ないワーキングメモリで苦しんでいる人々にも優しい社会になるよう、考えていかなければいけないなと思いました。

