今回読んだのは、「奇跡の社会科学 現代の問題を解決しうる名著の知恵」(2022年)です。
本書は社会学の古典について取り上げた本で、これまで読んだけれどまとめられなかった名前の社会学者が出てきて、やっと意味がわかった!と膝を打つような、とても分かりすく書かれた本でした。
そして、本文の最後に
これまでの三十年間のような、思い付きの政策やら、ふざけた改革やらを試しているような余裕は、もはや我が国にはないのです。
と書かれているように、社会学を分かっていない政治家や経済・社会学者に対して苦言を呈する内容でもありました。
本書を読んで特に勉強になった3名の社会学者の考えについて、キーワードを添えてまとめたいと思います。
ウェーバーは、近代資本主義社会を支配する原理のことを指して「官僚制的支配」と呼んで分析しました。そして、この官僚制には2つの要素があります。ひとつは「没主観性」。『だれかれの区別をせずに』計算可能な規則にしたがって[事務を]処理することを意味します。もう一つは「計算可能性」。「数値化」「見える化」することで、客観的な判断ができ、かつ結果が予測できるようなルールに従って行動することです。そして、この原理に基づいて動く官僚制というのは、非人間的で、徹底的に効率的で合理的な組織になります。

ウェーバーの研究からインスピレーションを得たジョージ・リッツァは、1993年に『マクドナルド化する社会』を発表し、効率性、計算可能性、予測可能性、制御の4つの性格を見出しています。そうです。マクドナルドは官僚制組織であるということです。そして、効率性を追求した結果、非効率になるという、ロバート・マートンが指摘した官僚制の「逆機能」が今も起きています。つまり、健康への悪影響というコストも含めて考えると、決して安いとは言えないし、単調でやりがいを欠いた仕事に対して不満を抱くため離職率が高く人件費がかかるということです。

さらに、マクドナルドは、万人受けする食事を均質に提供し、誰でも働ける職場を提供するので、どんな国にでも出店できる組織です。つまり、「マクドナルド化」するというのは「グローバル化」の要件であると言えます。マクドナルド化は脱人間性を伴うとリッツァは述べており、グローバル化もまた、脱人間的な現象だということでした。
「グローバル化は不可避である」と言われますが、グローバル化とは官僚制のことです。ウェーバーは「ひとたび完全に実施されると、官僚制は、もっとも破壊しにくい社会組織のひとつになる」と述べており、グローバル化が進めば人間性は失われていくということを私たちは知っておくべきだということが分かりました。これからは地域限定の人間じみたサービスのニーズが増えるかも知れないと思いました。
平等な社会の先にあるのは独裁
トクヴィルは独立後50年ほどしか経っていないアメリカを視察し、 民主政治こそ専制政治となるということを発見しました。
多数決の民主政治では、少数派は、多数派の決定に逆らうことはできません。つまり、すべてを決める専制的な権力は、多数派に与えられます。 そのことを「知性に適用された平等理論」と呼び、多数者の支配が絶対的であるということが、民主的政治の本質である(多数者の専制)と説きました。多数者とは、世論のことです。世論が正しいかに関係なく、世論に押されて動く政治は止められなくなります。 たとえ少数者が世論は間違っていると訴えても排除されるだけです。炎上という暴力的現象も「多数者の専制」の一種だそうです。

そして、「多数者の専制」は二十世紀になって「全体主義」として知られるようになりました。昔の貴族制社会では、不平等な社会で地位の不平等は大きく、しかも固定化されていたために、人々は地位の不平等を受け入れます。一方、平等な民主的社会では、人々は、わずかな不平等にも不満をもち、ささいな特権ですら妬み、許せなくなります。特権をはく奪し、社会をローラーで均すように平等にするためには、強大な中央権力が必要になります。つまり、世の中が平等を求めればなるほど人々は孤立化し、中央集権化が進み、全体主義化しやすくなっていきます。全体主義の代表選手といえば、ヒトラーですよ!

平等な社会を目指すべきなのか、私たちはもう一度考えた方がいいのかも知れませんね。トクヴィルは政府と個人の中間にある集団や組織の存在が中央権力に対抗して自由を守ると述べているそうです。集団に所属するというのは、自由が奪われるのではなく、自由を作り出す行為だったんですね。職能団体だけでなく、町内会、子ども会、PTA…面倒ですが、大事なのかも知れません。
社会秩序や規律は自殺を防ぐ
デュルケームの『自殺論』では、自殺者の統計データから共同体が人間を自殺から守っており、個人主義は自殺に向かいやすいことを見つけ出しました。人間には共同体(会社、地域、家族など)との絆が必要だということです。

また、政変や戦争のような政治的な危機が起きると自殺者は減るという事実も発見します。これは、危機が社会を結束させるためです。一方で、経済的な危機は自殺者を増やします。しかし、危機が繁栄を急速にもたらすような場合でも自殺者が増えるのだそうです。アノミー型自殺というのは、個人を規制する社会の規律や秩序がない状態の時に起きる自殺です。つまり、人間は、欲望の追求でも拘束されずに生きることでもなく、逆に社会秩序に拘束されて、社会の規律に制約されて「分をわきまえる」「足るを知る」ことによって幸福や生きがいを得ていたということです。
日本の政治家や官僚、あるいは社会学者たちは、デュルケームであれば個人を自殺から守る職業集団だと認めたであろう共同体的な日本的経営を自ら破壊し、しかもそれを「破壊」と称して喜んでいたわけです。
と著者さんは述べています。
過去記事「生きるための自傷行為」では、自傷行為というのは人間関係に絶望した自分を守るためにしていることを学びましたが、やっぱり人間は人との繋がりが大事だということなのでしょうね。
本書では他にも、エドマンド・バーグの『フランス革命の省察』やカーの『危機の20年』についてもよく分かって、とても勉強になりました。社会学の本って本当に難しくて、最後まで読むのを諦めるくらい、これまでさっぱり理解できなかったのですが、本書を読んで社会学って本当に面白いなと思いました。教養レベルがちょっと上がった気がします!難しい本にもチャレンジしてみたいです。
