歯科衛生士のよみもの

kindle unlimitedで本を読み漁り、感じたことを考察していくブログです。

日航機墜落の真相は?

今回は、疑惑 JAL123便墜落事故 このままでは520柱は瞑れない(2023年)を読みました。

 

1985(昭和60)年8月12日に起きた日本航空123便ジャンボ・ジェット旅客機の墜落事故については、過去記事日航機墜落事故で当時の遺体収集の惨状について学びました。

ddh-book.hatenablog.com

 

本書はこの事故の疑惑について、発表されている情報や証言を丁寧にまとめ、整理し、何が起きたのかについて迫る内容となっています。この事故については様々な説があることは知っていましたが、本書を読んで確かにそれは変だ!と思ったところを整理したいと思います。

 

 

ボイス・レコーダー筆記録

 

まず、全くもって不可解なのは、この事故のブラックボックスから回収したボイス・レコーダー記録がJAL職員にすら公開されていないということです。発表は筆記録のみで、しかも、中間報告、公聴会のための資料、最終報告で内容が異なります。詳細は本書でご確認いただければと思いますが、順をおって「隔壁説」に好材料となる言葉へと変わっていくのです。

最終報告書では「ドーン」という音が消えて2秒後に「なんか爆発したぞ」と機長が爆発を確認したような発言に変化し、7秒後には「スコーク77」という国際緊急無線信号の発信を命じていることになっています。著者さんは、「ドーン」と同時に急減圧を機長が認識したとしても、それは即「スコーク77」発信の条件を満たす訳ではないと述べます。

少しネットで調べてみると、日航が保管しているボイスレコーダー、フライトレコーダーの開示請求は2024年3月28日に最高裁で棄却されているんですね。これだけおかしな報告書なのにこれで十分だという判断がされるのは、よほど隠したい何かがあると勘繰られても仕方がない気がします。

 

 

墜落地点の迷走

 

また、墜落地点も長野県なのか群馬県なのかで迷走を極めました。目撃情報や地元民からの情報が届いていたにも関わらず、NHK誤報により、日航救援隊第一団も、この後に出る第二団も、乗客家族も、陸上自衛隊までも実際の事故現場とは異なる長野県北相木村を目指します。また、アイソトープ放射線医薬品)があるとの情報でも足止めをくらいます。

自衛隊は翌13日午前5時10分に墜落現場を確定したとされていますが、実際の墜落現場に近い上野村消防団員は、しびれを切らして墜落後の目撃証言などからスゲノ沢を目指し、白み初めた山中にわけ入ります。すると、何故がにわかに警察、自衛隊の動きが活発になり、陸から空からスゲノ沢を目指し始めました。長野県に現場があると本気で信じていたのなら、消防団員が勝手に群馬の山に入ったからとてあわてることはないはずです。

さらに、73名も降下した空挺部隊はなぜか人命救助には参加しておらず、南側の急斜面の上では自衛隊のヘリコプターで何かをつり上げていたのが登山者に目撃されています。

著者さんは、NHK防衛省、政府が報道陣や一般人を長野へ追いやろうと画策したのではないかと推測していますが、これらの目撃談や報告は何か不都合な物が現場にあって、回収するための時間稼ぎをしていたと取れますね。

 

 

 

そして、このような大事故だったにも関わらず事故調査委員会、正式名称は「運輸省航空事故調査委員事故調査委員会」のメンバーは同年10月9日で任期満了で次期委員に2名の再任を除き入れ替わっています。

相模湾の海底調査は各方面からの指摘により実施したものの、事故後3ケ月近くもたっており、その海域は「ドーン」発生地点の東側だけでした。相模湾海底に落下したと推定される機体尾部は「隔壁説」の証明に大きな影響を与えるにも関わらず、ごく狭い海域に限られた水深300メートルまでの海底だけという形だけの調査では何も発見されないのも当然と言えます。

事故調査委員会の報告は一貫して事故原因は「隔壁説」が貫かれ、他説の考察や否定は行なわれずに調査は完結したということです。

 

 

ボーイング社の突然の自供

 

事故調査が進む中、ボーイング社が 自ら過去の事故機の修理の不備を発表したのも不可解です。事故の7年前に機体後部を滑走路にぶつけるという操縦ミスによる事故があり、このとき、内部の圧力隔壁の取付けフレーム等にゆがみが生じ圧力隔壁の下部も変形したそうです。そこで、製造元である米ボーイング社の専門スタッフをアメリカから招き、隔壁下半部の取り替え修理を行なったのですが、ズレと寸法違いが生じたため、1枚板で修理すべきものを、2枚のつぎ合わせで行ってしまったと言うのです。

「ドーン」という音の波形から「衝撃波」特有の波と断定し、さらに、隔壁の修理ミスのあった箇所を起点とする長さ2.2メートルに達する破断が確認されたと事故調査委員会は説明しています。

ボーイング社は隔壁修理ミスを認める声明を発表したものの、今回の事故との関連は否定しています。ところが、最終報告書には同意しているのです。

 

ボーイング社にとって修理の不備だと言った方が得だったとするならば、それはどんな状況なのでしょう。

 

 

急減圧は本当にあったのか

 

「隔壁説」というのは、圧力隔壁修理ミスより生じた隔壁破壊と与圧空気流に垂直尾翼と油圧システムを含む後部胴体の破壊が事故原因であるとする説です。その場合、機内では急減圧が起き、空気の白濁現象と同時に破壊された方向へ向かって急激な空気の流れ(強風)が生じます。強烈な耳鳴りと強い痛みに襲われて、酸素補給が行なわれなければ、酸素欠乏症に至りついには失神してしまうそうです。

生存者も強い風を感じてはいますが、遺書も複数残っており、機長たちは「ドーン」音からレーダーから消えるまでの32分間、酸素マスクをつけずに運行を続けています。そして、調査委員会も不明と発表している謎のヒューヒュー音。

様々な状況証拠から、急減圧は無かったとしか考えられません。著者さんは隔壁の最上部で隔壁と胴体の取り付け部に、引きちぎりによるスキ間が生じ、その後のダッチロール飛行による機体の周期的ネジレ現象によって左外周部に広がったのではないかと推測しています。

 

 

まとめ

 

本件に関しては、日本航空機長組合、日本航空先任航空機関士組合からも真の原因究明と再発防止を求める声明が出されています。圧力壁の修理ミスによるものではなく、何らかの飛来物が機体に衝突したのだとすれば、それは何なのか。何件もの証言があるオレンジ色の閃光や流れ星は何だったのか。なぜJAL職員は最初「北朝鮮のミサイルに撃ち落された」と家族に言ったのか。テレビ局や新聞社に届いた自衛隊員という人物からの怪文書「戦艦『たかちほ』より発射された対空ミサイルが日航機に当たってしまった」というのは本当にデタラメなのか。著者さんが山中で拾った金属片は一体何だったのか。

本当にこの事故はおかしなことだらけです。ボイスレコーダー、フライトレコーダーの開示請求が最高裁で棄却されているのが残念でなりませんが、それだけ大きな力が働いているのではないかと思ってしまいました。真相が知りたいものです。