今回は、「魂の退社―会社を辞めるということ。」(2016年)を読みました。
著者さんは朝日新聞に28年間勤め、50歳で退職し、自由気ままな生活を送る、アフロヘアーの女性元記者さんです。unlimitedあるあるのシリーズの新しい本は読めないパターンですが、そのタイトルも「寂しい生活」と意味深。
本書を読んで「ない」ことについて考えたので、まとめたいと思います。
香川県は讃岐うどんが安くて美味しいことで有名ですが、著者さんは38歳の時に香川県の高松総局デスクへの移動を命じられ、住むことになります。それまでの都会暮らしで、さながらプリティーウーマンのような金満生活を送っていたのが一変し、毎週末各地の農産物直売所に通うようになります。すると、野菜には旬があり、スーパーのようにいつでも買えないことに気付いたそうです。
いつでも何でもある現代において、もう「ある」ことを贅沢だと思う人はほとんどいないんじゃないか。むしろ「ない」ことの方がずうっと贅沢だったのだ。

さらに、香川県の人はうとん1杯というのがモノの値段を考える際の「単位」であり、「それやったらうどん○○杯食べられる」と、1,000円のランチやテーマパークの入場料をうどんで計算して、納得のいかないお金は払いません。著者さんも香川県での生活の中で「お金を使わなくてもハッピーなライフスタイル」を身につけていったということでした。
「ない」ことが贅沢というのは、とても分かります。私はキャンプが好きですが、電気がない静かな、虫の鳴き声や風の音だけが広がる世界というのは何とも贅沢です。また、野菜作りでも、ダンボールコンポストをして、雑草コンポストをして、卵の殻や煮だしたいりこを集めてぼかし肥を作って、公園で枯れ葉を集めて腐葉土を作って、「ない」から作る野菜というのは、本当に贅沢だなと思います。
また、東日本大震災に伴い発生した福島の原発事故を受け、著者さんは電気の「ない」生活に挑戦します。すると、今までとは違う世界が広がっていきます。
例えば、夜帰宅する。一人暮らしですから、鍵を開けると部屋は真っ暗です。普通ならここですかさず電気をぱちっとつけるところですが、電気は「ない」のだから、そういうことはしません。まずは玄関にしばらくじっとして、暗闇に目が慣れるのを待つ。
すごい、すごすぎます。特に日本人は目の色が黒や茶色なので、暗い所は欧米人に比べ見えにくいと言われていて、私なんか、ホテルなどの間接照明でも暗くてよく見えなくてイライラしてしまいます(笑)
ところが、著者さんは「ない」ということの中に無限の可能性を発見し、次々と電化製品を捨て始めたそうです。冷蔵庫までも!「あったら便利」あるいは「なきゃやっていけない」と思っていたものを手放してみると、なきゃないで不便でも何でもないと気づいたそうです。
そして、著者さんは朝日新聞社の社員という肩書までも手放す訳ですが、退職したことで日本は会社に所属することが前提の社会、会社社会であることに気づきます。会社に所属していない人は、クレジットカードも作れないし、部屋を借りることもままなりません。会社に就職するための活動をしない人には、例えフリーや起業をするのだとしても、失業保険は支払われません。さらに、
会社が儲けるため社員に精神的にも肉体的にも負荷をかけ、その結果不具合を生じた社員が定期的に検査をして病気を発見し、病院へ通ってお金を払い治療する……。まるで、病人を作り出すことで確実にお金が回るようにする永久運動のようです。
とも述べられています。

私たちも会社は修業の場であって、体を壊してまで会社に依存する必要はない、依存の場ではないことに早く気づかないといけませんね。

