歯科衛生士のよみもの

kindle unlimitedで本を読み漁り、感じたことを考察していくブログです。

暇と退屈_2

今回も、「暇と退屈の倫理学(2022年)です。

 

 

前回の「暇と退屈_1」では、ハイデッガーの退屈分析についてまとめました。その上で、著者さんはこのハイデッガーの結論は受け入れ難いと述べていました。

 

ddh-book.hatenablog.com

 

そこで今回は、受け入れ難いという根拠の一つとして用いられている「環世界」についてまとめたいと思います。

 

 

環世界

 

エストニア生まれの理論生物学者であるヤーコプ・フォン・ユクスキュルは「環世界 Umwelt」という概念を提唱し、さまざまな分野に大きな影響を与えました。

ユクスキュルの言う環世界とは、

すべての生物がそのなかに置かれているような単一の世界など実は存在しない。すべての生物は別々の時間と空間を生きている!

というものです。

 

 

ダニの世界

 

マダニのメスは交尾を終えると適当な枝によじ登り、哺乳類が近くに来るのを待ちます。下を通りかかる小哺乳類の上に落ちるか、大型動物にこすり取られるなどして皮膚に取り付きます。そして、血を吸ったら卵巣内で卵を受精させ、地面に落ちて産卵し、死ぬそうです。血は次世代のための栄養です。

さて、このダニは3つのシグナルを順番にたどって動くことが実験で明らかになっています。そして、これらのシグナル以外の情報を全く受け取ることもありません。

(1)酪酸のにおい

(2)摂氏37度の温度

(3)体毛の少ない皮膚組織

具体的には、ダニは酪酸のにおいをかぎとるとダイビングを試みます。フラスコに入れた酪酸を近づけても、ダニは飛び降ります。そして、飛び降り地点に37℃に保った人工膜を置いておくと、膜の下が水であったとしても吸血行動を始めます。ダニは味覚を一切持っていないので、それがただの水なのか血液なのか判断しようともしません。

つまり、ダニは哺乳類を待ち伏せているのではないのです。ただひたすら酪酸のにおいを待っているだけです。ドイツの研究所では、18年間絶食しているダニが生きたまま保存されているというので驚きです。

 

 

ミツバチの世界

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 ミツバチを蜜のいっぱい入った皿の前に連れて行きます。すると、ミツバチは蜜を吸い始め、しばらくすると、皿にまだ蜜が残っていても飛び去ります。ところが蜜を吸っているミツバチの腹部に切れ込みを入れると、ミツバチは蜜を吸い続けるのだそうです(蜜は腹部から流れ出ます)。つまり、ダニのプログラミングと同じように何らかの満腹というシグナルを受け取ると飛び去るという次の行動が導かれているということです。

また、ミツバチが出かけた隙に巣箱を2mほど移動させると、帰ってきたミツバチは巣箱のあった位置で旋回します。そして、5分ほどするとちゃんと巣箱に入って行くそうです。ところが、触覚を取り除いたミツバチで同じ実験をすると、移動した巣箱に直接戻るのだそうです。これは、ミツバチは触覚を用いて空間を把握しており、それは視覚よりも信用できるものであるということです。人間とは見えている世界が全然違いますね。

 

 

タツムリの時間

 

タツムリの足下に小さな棒を差し出すと、カタツムリはその上に這いあがろうとします。その棒をゆっくり回転させて、1秒間に1~3回棒がカタツムリに触れるようにすると、カタツムリは棒の上にあがろうとしなくなります。ところが、1秒間に4回以上と回転を速くすると、カタツムリは棒に這いあがろうとするそうです。つまり、タツムリは1/3秒より短い時間は認識できないため、棒が止まって見えているということです。

 

では、人間はというと、人は1/18秒より短い時間は認識できないそうです。これは、触覚でも同様です。一方、ベタという川魚は1/30秒まで知覚できるそうです。ベタから見た人間は6割ぐらいのスピードでしか動けないのろまな生物なのだそうですよ。

 

つまり、生物によって「瞬間」の長さは異なるということです。ダニが18年間〈も〉酪酸のにおいを待っているというのは、人間の勝手な時間感覚でしかありません。

 

 

退屈論との関係

 

すべての生物は別々の時間と空間、つまり環世界を生きています。しかし、ハイデッガーは何とかして人間と動物を区別しようとし、人間の環世界を認めませんでした。彼は、環世界を生きるということは<とらわれ>ているということになり、動物は<とらわれ>ている状態で自由ではないので退屈はしない、人間だけが退屈すると考えたということです。

ここで、著者さんは人間に環世界を認めない理由はないと述べます。そして、人間はその他の動物に比べて極めて高い環世界移動能力を持っているとも主張します。例えば、人間は学ぶことで宇宙物理学の環世界に移動できますし、もちろん歯科衛生士の環世界にも移動可能です。そして、もっと瞬間的にも移動してしまいます。例えば、駅で列車を待つ間に絵を描けば絵の環世界に入り、パーティーで葉巻を吸えば、葉巻の環世界に入り、その間ゆっくりとした時間を味わいます。人間も環世界に <とらわれ>続けている間は退屈を感じないでしょう。ところが、人間は動物のように一つの環世界にひたっていることができないのです。そのため退屈するというのです。

 

人間は環世界を相当な自由度をもって移動できるから退屈するのである。

 

 

まとめ
 
本書では、他にも色々と考えていくのですが、 結論で人間であるというのは、第二形式の退屈を生きることだと述べられています。そして、ハイデッガーが パーティーで退屈したのは、彼が食事や音楽や葉巻といった物を受け取ることができなかった、つまり、それらを楽しむだけの教養がなかったのだと私は理解しました。過去記事「侘茶と文人茶」文人茶会で退屈している人を思い浮かべると分かりやすいですね。
退屈せずに生きるためには、様々な環世界を知って、自分の好きな環世界、つまり熱中できるものを見つけると良いのではないかと思いました。退屈を感じるのがちょっと楽しみになってしまいました。