歯科衛生士のよみもの

kindle unlimitedで本を読み漁り、感じたことを考察していくブログです。

吉田松陰の教育法

今回は、吉田松陰 松下村塾 人の育て方ーリーダーは教えない。(2016年)を読みました。

 

 

 

Wikipediaには、

江戸時代後期の日本の武士(長州藩士)、思想家、教育者。山鹿流兵学師範。明治維新の精神的指導者・理論者。「松下村塾」で明治維新で活躍した志士に大きな影響を与えた。

と書いてあり、 [新訳]留魂録 吉田松陰の「死生観」(2011年)を読んでもとても筆まめで、実直で、熱い志を持った人物という印象を持ちました。

 

 

日本中を旅して海外情勢や様々な学問を学び、野山獄に投獄されてからは1年2カ月間に600冊におよぶ本を読破したという、とにかく勉強家です。入獄して半年頃から、獄中の希望者を集めて「孟子」の講義を始めたということで、過去記事キャプテン・クランチかと思いました。

 

ddh-book.hatenablog.com

 

 

 

吉田松陰と言えば松下村塾ですが、叔父の玉木文之進が自宅で私塾を開いたのが始まりであり、吉田松陰が教えたのはわずか2年10ヶ月だそうです。松陰は松下村塾久坂玄瑞高杉晋作伊藤博文吉田稔麿入江九一前原一誠品川弥二郎山田顕義、野村靖、渡辺蒿蔵、河北義次郎などの面々を教育しており、日本が欧米から植民地化されなかったのは、松陰の師弟らによると言っても過言がありませんね。

松陰神社松下村塾を模した建物)

 

7つの特徴

 

本書では、松下村塾の教育法を7つにまとめていましたので、整理したいと思います。(著者さんの思い入れが強すぎて、ちょっと長文だったのでだいぶ端折りました笑)

 

  1. 生涯学習
    師の亡き後も寄り集まって学習会を持続させています。

  2. 「師弟同行」
    師弟がともに学び合うというのが村塾の基本姿勢でした。松陰は、リーダーたるものには「ノーブリス・オブリージュ(高い身分の保持に伴う義務)」を求め、自らを厳しく律したそうです。

  3. グループ議論
    松陰は、熱弁をふるって講義をする日もありましたが、答えの見つかりにくい課題を数人で討議させたり、難しい問題への対応を数人の弟子を指名して一緒に取り組ませたりもしました。議論を通じて、グループでやり遂げられることを体得させたそうです。

  4. 草莽崛起の思想
    封建時代の身分制度を否定し、庶民の力を高く評価するを根付かせました。時代を改革するのは支配層ではなく、庶民であるという思想は、高杉晋作の創設した奇兵隊(農民や百姓を含む日本初の民兵組織)へと繋がりました。

  5. 若者を育てる
    若者の自立を辛抱強く待つという基本的な方針が村塾にはありました。松陰は、人材を育てるには忍耐と寛容さが必要であるということをわきまえており、頑固な高杉晋作と理性的な久坂玄瑞を切磋琢磨し合う関係に導きました。

  6. 教養の上の専門性
    専門性を高めるためには、基礎を形成することが大切だということが認識されていました。松陰は、専門分野の儒学兵学だけでなく、文学、洋学、国際関係など、多様な知識の習得に努めていたそうです。

  7. 現場実践主義
    現実にふれ、情報と実践を重視するという心がまえがありました。松陰は、入塾してきた青年に目的を聞き、「書物を読めるようになりたい」と答えた時は、「それでは学者になってしまいます。学者になってはなりません。人間は実行が第一。書物などは、世間の仕事をよくやっていれば、自然と読めるようになるものです」と語ったそうです。

 

「智にして行を廃するは真の知にあらず、行にして知を廃するは実の行にあらず」ということで、学ぶこと、実践することの両方が重要なことであり、知行合一つまり、「知」は「行」の一部で合って分けることはできないというのは、これまでも学んできたことだよねと思いました。

 

 

まとめ

 

色々な書籍の中で日本の詰め込み教育が良くない、入試が良くないと言われますが、私も知識教育は好きではありません。歯科衛生士の教育というのも基本的な知識がやっぱり必要で、講義をしなければならないという部分もあるのですが、私自身は構成主義の人間なので(過去記事参照)、授業では自分達で気づくことを第一にしていました。

 

ddh-book.hatenablog.com

 

とりわけ近年は「答え」を聞いてくる学生が多いので、例えば、アルジネート印象が上手くできないと言ってきた学生に対し、「あなたはどうすれば上手くできる思う?」と返していたのですが、学生からするとうざい教員だったのかも知れませんね。

 

吉田松陰は日本各地に赴いて、知識人と議論を交わして歩きましたが、松下村塾での教育も議論を中心に、自分で考える力を育てていたのだということがよく分かりました。今も昔も、「自分で考える力」が大事なのだと再認識しました。