歯科衛生士のよみもの

kindle unlimitedで本を読み漁り、感じたことを考察していくブログです。

「ふれる」と「さわる」

今回は、手の倫理(2020年)を読みました。

 

五感のひとつだけど、あまり主役にはならない触覚について学んだのでご紹介します。

 

 

触覚の特徴

 

触覚には視覚と比べて以下の3つの特徴があります。

 

距離ゼロ

ドイツの哲学者ヘルダーは、

視覚=対象を「横に並んでいるもの」(nebeneinander)として捉える感覚

聴覚=対象を「時間的に前後するもの」(nacheinander)として捉える感覚

触覚=対象に「内部的にはいりこむもの」(ineinander)として捉える感覚

と定義しています。物理的には距離ゼロですが、生命や魂まで感じる距離マイナスでもあるということでした。

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私たちは人の体にふれることで、その人の肌の柔らかさやすべらかさといった物理的な質についての情報を得るだけでなく、いままさに相手がどうしたがっているのか、あるいはどうしたくないと感じているのか、その衝動や意志のようなものにふれることができると述べられています。

 

持続的

触覚は認識に時間を要します。そのため「ふれながら関わる」ような余地が生まれることになります。

 

対称性

自分の体にさわる場合、左手が右手をさわっているのか、右手が左手にさわられているのか、その入れ替わりを意識の志向性しだいで自由にスイッチすることができます。しかし、人が人に触れる場合にはどちらが主体でどちらが客体かといった関係は、対等ではありません。ふれる側とふれられる側の関係は対等ではないということです。

 

 

「ふれる」と「さわる」の違い

 

「ふれる」が相互的であるのに対し、「さわる」は一方的です。

傷口に「さわる」時はちょっと痛そうですが、傷口に「ふれる」では、そっと手当をしてもらえそうですね。「逆鱗にふれる」というと怒りを爆発させるイメージがありますが、「神経にさわる」というとイライラと腹立たしく思っているけど、まだ個人に収まっている状態を指します。

 

では、「ふれられる」はどうでしょうか?ふれられる側には、大きな不安が伴います。ふれる人は、まずはそのふれられる相手に信頼してもらわなければなりません。

 

 

信頼が必要

 

安心と信頼は違います。安心とは、「相手のせいで自分がひどい目にあう」可能性を意識しないこと、信頼は「相手のせいで自分がひどい目にあう」可能性を自覚したうえでひどい目にあわない方に賭ける、ということです。

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そして、ふれる側にとっての信頼の問題と、ふれられる側にとっての信頼の問題は、傷つけられるかもしれないといった「不確実性があるにもかかわらず」という構造は同じです。しかし、ふれる側が抱える不確実性は、ふれたことによる相手のリアクションが読めないという不確実性です。これに対して、ふれられる側の不確実性とは、ふれようとしている相手のアクションが読めないという不確実性です。

 

 

触覚を介したコミュニケーション

 

本書では、視覚障害者との触覚を介したコミュニケーションについて、全盲のランナーと伴走者との関係や様々な研究が紹介されていますが、「距離ゼロ」の触覚は時に思いや感情、体調といったものが、本人の意識を超えて伝わっていきます。触覚を介したコミュニケーションにおいて「ふれあう」というのは、共感を持ちながらも接触のパターンをお互いに微調整したり交渉したりするような、持続的で動的なプロセスです。この「ふれあい」は一方的な伝達ではなく、双方向に行われる生成型のコミュニケーションになります。

接触的なコミュニケーションは、「さわる」ではなく、双方向に生成していく「ふれる」を目指すべきだ、ということでした。

 

 

まとめ

 

私は歯科衛生士なので、 器具を通して歯根面の歯石を感知したり、歯肉の弾力を感じたりと触覚の感覚はとても大事にしています。また、患者さんの口の中に「ふれて」仕事をするのですが、時々、下のお世話をされるよりも恥ずかしいと言われるのを思い出しました。

本書を読んで改めて歯科衛生士という資格に対する信頼ではなく、人としての信頼関係が大事だと思いましたし、触覚を介してコミュニケーションをしているという認識はこれまで全く無かったので、器具を通した双方向のやり取りというものが「さわる」にならないよう気をつけないといけないなということを学びました。

「倫理」についてはこれも深い学びがあったのですが、書けていませんので気になる方は本書でご確認くださいね。