前回、自分をよく知ることが大事だと分かったので、もっと瞑想で自分の内面を見つめることができるようになりたいと思い、「頭が突然鋭くなる瞑想法―ブッダが悟りをひらいた人類最高の英知」(2017年)を読みました。本書を書かれたのは、スリランカ上座仏教の長老さんだそうです。
ヴィパッサナー瞑想法とは
Wikipediaによると、
仏教において真理とされる無常・苦・無我を洞察する瞑想(バーヴァナー)である
と書かれていました。本書には、以下のように書かれています。
ほんとうに大切なものは何かということを考え直す方法、ものごとを新しい角度で観る方法です。
日本で一般的に言われる禅などの瞑想は、このヴィパッサナー瞑想法を行う前提条件となるサマタ瞑想のことを指しており、精神的に落ち着くための瞑想法のことだそうです。
ということは、私がやっていたのもサマタ瞑想だったということですね。
歩く瞑想
ヴィパッサナー瞑想法では五感に心を加えた眼耳鼻下身意の六つの感覚器官から入ってくる情報を判断せずに観るということをしていくのだそうです。本書では簡単にできる瞑想法として歩く瞑想が紹介されています。心の中で「歩きたい」「立ちます」「左足」「右足」と頭の中で言葉にしながら(口に出しても良い)歩きます。その際、考えたり判断してはいけません。
過去記事「メタ認知」の認知のゆがみをイラストを使って説明しましたが、全ての情報を思考の壁を通さないようにするということだと理解しました。
実際やってみると、最初は「右足」・「左足」と足に神経を集中させながら歩けるのですが、しばらく続けるといつの間にか脳内で思考が分裂して、別の思考が何か考え始めます。足に集中しているつもりでも、いつの間にか思考に頭を乗っ取られてしまっています。まだまだ修行が必要です。
呼吸に集中する
また、座って行う瞑想では、呼吸について詳しく書いてあります。
「吸いまーす」・「吐きまーす」と頭の中で3回言いながら自分の体が膨らんでいる、縮んでいるというのを感じます。そして、「膨らみ、膨らみ」・「縮み、縮み」と言いながら自分を観察していくのだそうです。
これもしてみましたが、日本語的に「膨らみ、膨らみ」・「縮む、縮む」と言った方がしっくりくるのですが、ダメでしょうかね?昔、エレベーターの呼吸(体の中にエレベーターをイメージしてお腹の底から首までを呼吸に合わせて上下させる)というのを読んでやっていましたが、こちらの方が身体全体の動きとしっくり合う感じがします。
妄想に気付いたら呼吸に戻る
瞑想で一番厄介なのが、呼吸に集中しているつもりなのに、思考がどんどん入ってきて頭の中を占拠してしまうことではないでしょうか。これに対して本書では、とても詳しく説明されていました。
まず、妄想を嫌ったり否定するのではなく、妄想に気付くことが大事だそうです。妄想が出てきたら、「妄想、妄想、妄想」と3回言って呼吸の観察に素早く戻る、それを練習することが大事で、いくら妄想が出てきても構わないのだそうです。
私は今まで瞑想をして、この妄想をどう処理するのが正しいのか分からなかったし、妄想は出ないようにしなければいけないと思っていました。しかし、本書を読んで妄想が出てきても自分の中に入れないこと、「妄想、妄想、妄想」と言って妄想を消し、「膨らみ」・「縮む」に戻ればいいのだということが分かりました。
瞑想の終わり方
瞑想は終わり方も大事で、きちんと瞑想を終わらないと効果が無いのだそうです。
「瞑想を終わります」と頭の中で言って、「吸いまーす」・「吐きまーす」と頭の中で3回、終わりまーす」「目を開けまーす、手を崩しまーす、足を崩しまーす、膝をつきまーす、立ちまーす」と言って立つ。
それだけです。難しくないですね。
まとめ
本書の前半は勉強の方法や「知識」と「知恵」の違いについて延々と述べられており、あれ?瞑想は??と途中で読むのを諦めてしまいそうになりました。
しかし、本書を読んで妄想に気付いた時の対処法、瞑想の終わり方など日本人には馴染みの薄いヴィパッサナー瞑想法というものを知って、これまで疑問に思っていた「今を感じる」ということがようやく分かった気がします。
子ども達が家にいると、なかなか静かなところで瞑想することが叶わないのですが、歩いている時や週末のランニングをこのヴィパッサナー瞑想の修行の機会にしていきたいと思います。