皆さんは死を恐れていますか?それとも、死ぬよりももっと恐ろしいものがありますか?
死についての哲学
今回は、「「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義」(2018年)から、死に対する恐れについて考えていきたいと思います。本書は哲学の講義を書籍化したものであり、(哲学一般に言えることですが)結論よりも考えた過程の中に重要な気づきが溢れています。詳しく知りたい方は、是非書籍をお読みくださいね。本書は一部はしょってありましたが、完全翻訳版も出ているみたいですよ。
死に対する恐れ
人が恐れを抱くのが適切であるための条件は以下の1〜4だそうです。この条件に照らし合わせて、死に対する恐れが適切であるのか考えていきます。
- 恐れているものが、何か「悪い」ものである
- 自分の身に降りかかってくる可能性がそれなりにある
- 不確定要素がある
- 1~3の釣り合いがとれている
死に伴う痛みが恐ろしい?
- 痛みは明かに悪いものだと言える
- 実際に激しい痛みを伴う死に方は少ない
- 不確定ではある
- 痛みを伴う死を想像して眠れないというような人はまずいない。つまり、釣り合いが取れない。
→死に伴う痛みに恐れを抱くというのは間違っている
死そのものが恐ろしい?
- 不死は良いものなのか?否。死そのものも、死んだ後の状態も悪いものではない
- 死は確実に訪れる
- いずれ自分が死ぬことは誰もが知っている
→死そのものが恐ろしいというのは不適切である
予想外に早く死ぬのが恐ろしい?
- 若くして死ぬのは悪いと言える
- 若くして死ぬ確率は低い
- 自分がいつ死ぬのかは予測不能である
→釣り合いが取れていたとしても、死を恐れる気持ちは適切ではない。別の感情のほうが相応しい可能性がある。
では、怒りなのか?
怒りが適切であるための条件
- 何か悪いことが本人に起こるまたは起こりそうである
- それが人に向けられている時に限る
- 何らかの行動主体によって不当に扱われたときや、道徳的に不適切な形で扱われたとき
早死にする運命に怒る?
- 早死には悪い
- 自分に向けられている
- 神や宇宙が自分を不当に扱ったのか?
→早死にする運命に怒るのは間違っている
では悲しみなのか?
早死にする運命を悲しむ?
悲しむのは適切かもしれない。
しかし、もっと多く経験できないとはいえ、これほど多くを経験できたのはなんとも幸運だという考えが浮かんでくる。
死に対する正しい感情
死に対する正しい感情的反応は、恐れではなく、怒りでもなく、生きていられるという純然たる事実に対する感謝のように思える。
本書ではこの後、ではどう生きるのか?と続きます。
まとめ
いかがだったでしょうか。
死を恐れるという感情は誤りであるというのが結論ですが、納得できましたか?
私はやっぱり死ぬのは恐ろしいなと思ってしまいます。それは、守るべき子どもたちを置いて死んでしまうことに対する恐怖、これは悲しみなのでしょうか?、だと感じました。
本書には死についてもっとたくさんのテーマ(安楽死や自殺など)についても書かれています。死んでしまったら絶対に読めないので(笑)、生きている間に読んでみるのも良いのではないでしょうか?