歯科衛生士のよみもの

kindle unlimitedで本を読み漁り、感じたことを考察していくブログです。

武士道とは

「武士道と云うは死ぬことと見つけたり

これは、江戸時代中期に書かれた葉隠という書物に書かれた一節ですが、現代語訳すると武士道とは、死ぬ事であると悟った。」となります。誤解されていることも多いようですが、武士としての生き方・死に方を説いた書物なのだそうです。

 

今回は、5千円札に描かれている新渡戸稲造が書いた「武士道」をもとに書かれたいま、拠って立つべき”日本の精神”武士道(2005年)を読んだので、武士道について少しまとめたいと思います。

 

 

なお、新渡戸稲造は英語で原書の武士道を書かれており、何だか読みにくいのはそのせいでした。日本には「聖書」などはないので、それに代わって日本人の伝統的精神を集大成したもの、それが「武士道」という本になります。

 

 

武士道の根幹は「義」

武士は民の見本として「義」を遂行することが義務付けられました。武士道では何が人としての正しい行いなのかを徹底的に教え込まれます。また、「武士は食わねど高楊枝」といったように打算や損得勘定を持ってはならず、常に高潔であり、もしも義を犯した者は「卑怯者」の汚名を着せられました。

母親の子育てについても書かれているのですが、今と全く違い厳しい限りです。そこには、「男子たるもの」といったジェンダーがかなり見受けられ、今の世の中では考えられないなと思いながら読んでいました。

 

 

勇気と忍耐

「義をみてせざるは勇なきなり」孔子の「論語」に出てくる一節ですが、武士はあらゆる危険を冒し、一命を投げ出しても死の淵に挑みます。一方、死に値しないもののために死ぬことは「犬死に」と呼ばれ、非難されました。

これらは「獅子はその子を千尋の谷底に突き落とす」や「桃太郎」などの昔話を通じて子どもたちにも深く浸透されたようです。

 

 

「仁」とは愛、寛容、他者への情愛、哀れみの心などであり、「王者の徳」とされたそうです。「武士の情け」は力のある者の慈悲ですね。

武士は町民や農民よりも上の階級に属しているからと言って傲慢になるのではなく、仁を大事にするようにというのが武士道の教えだということです。

 

 

礼は寛容にして慈悲深く、人を憎まず、自慢せず、高ぶらず、相手を不愉快にさせないばかりか、自己の利益を求めず、憤らず、恨みを抱かないものだそうです。

本書には日本人の「つまらないものですが」アメリカ人の「この品物は素晴らしい物です」との考え方の違いについて書かれており、どちらも相手を尊重し、礼儀をもって接しようとしていることが分かりました。

 

 

武士に二言はない

本物の武士は「誠」を命より重く見ていました。二枚舌のために死をもってあがなった壮絶な逸話が日本では多く語られており、武士は常に正しくあろうとしました嘘は「心の弱さ」からくるものであり、「正直」は「名誉」と密接に関係しています。

すべての武士が正直者であったならば、当然のこととして語り継がれることはなかった訳で、「誠」を重んじたとわざわざ書かれるのは、そうでない武士も往々にいたからだという説明には納得させられました。

 

 

命より大切な名誉と忠義

武士は名誉のためであれば死をも厭いません「錦を飾る」と言われるように、一命を捨てる覚悟で戦に臨みます。特に君主に対する服従や忠義は厚く、我が子の命であろうと君主のためとあらば差し出します。自分の名誉が失われたとき、自身の罪を詫びるときには「切腹」も行われました

現代ではちょっと考えられないですね。「何があっても生きてさえいれば」と子供に望むのは、戦後の考え方なのかもしれません。父と兄の後に続けて8歳の弟が切腹した話は、読んでいて心が痛くなりました。

 

 

まとめ

薄い薄いカルピスのように現代では日本人の武士道精神は失われているように思います。しかし、「桃太郎」などの童話は今も健在ですし、時代劇や西郷隆盛などの偉人について学ぶ機会も多いと思います。「武士道」には良い部分も悪い部分もがありますが、日本人として、「武士道」ってね…と海外の方に説明できるくらいには知っておきたい内容だなと思いました。

まずは、息子たちに「武士道」ってねと話してあげたいと思います。