歯科衛生士のよみもの

kindle unlimitedで本を読み漁り、感じたことを考察していくブログです。

新型コロナウイルスを振り返る

今回は、ウイルス学者の責任(2022年)を読みました。

 

 

 

本書を書いた宮沢先生と言えば、京都大学医生物学研究所附属感染症モデル研究センターウイルス共進化分野の准教授であり、仙台駅前で人々にワクチンの危険性について訴える様子をSNSで見ましたが、先日、京都大学を退職したこともニュースになっていましたね。

TVにもよく出演されていたそうですが、我が家はTVを見ませんので、どのような発言をされていたのかは存じ上げません。

 

本書を読みながら、今回の新型コロナウイルス騒動を振り返っていこうと思います。

 

 

日本のコロナウイルス対策

 

過去記事グレート・リセットって?でも書きましたが、全国の学校を一斉休校にしたのは、ウイルス学者の視点からみても異様だったようです。そこから歯車が狂っていったとも書かれています。

ddh-book.hatenablog.com

 

SARS(重症呼吸器症候群)やMERS(中東呼吸器症候群)のような致死率でもなく、日本の実行再生産率は1.7以下であったことから、人と人との接触を8割減らす必要はなかった、人とウイルスの接触を減らす対策で十分であったということでした。そう、8割おじさんこと西浦博・京都大教授(感染症疫学)とは完全に意見を異にします。

…何が正しいのかはともかく、京大を辞めることになったのは宮沢先生ということな訳で…

 

 

mRNAワクチン

 

新型コロナウイルスのワクチンについて、宮沢先生は子どもへの接種、妊婦への接種には慎重な意見でした。ワクチンは遅れて副作用が現れる場合があるため、超過死亡を見なければ効果があったのか、無かったのかは分からないということです。また、日本人は死亡率が低く、もともと免疫を持っている可能性があり、ワクチンを打つ必要はなかったのではないかということでした。

今になって超過死亡が問題になっていますが、当時もどんどん変異していくウイルスに対してワクチンでは対応できないことは明らかでしたし、「重症化を予防します」など一般人が考える麻疹のワクチンのように感染を防げるものではないというのも明らかでしたね。

私も自身は歯科衛生士という仕事上、ワクチンを打たない訳にはいかない状況でしたが、子ども達に打たせるつもりは毛頭ありませんでした。

 

 

あの時、誰の意見が正しいのかを判断できたか?

 

本書を読む限り、ウイルス学はちょっと難しいなと思いましたが、宮沢先生の意見は全うだなと思います。しかし、あの時判断できたか?と聞かれると、難しいなと思いました。

 

まず、ウイルス学の考え方、「大量のウイルスに暴露しなければ感染は成立しないので、ウイルスとの接触を1/100にすれば感染を防げる」というのは一般人には理解できないからです。「感染する場合もあるんですよね?」と聞かれると「はい」となり、それでは十分な対策ではないとなってしまうと思います。特に今は1か0かで判断する人が多いので、0.01でも可能性があるのであれば排除しなければならないという意見に世論が流されてしまうと思うのです。公園や学校の遊具などが典型例ですね。

 

もう一つは、宮沢先生が獣医出身で、これまで動物のウイルスを研究されていた研究者だという点です。本書でも指摘されていますが、残念ながら、獣医の地位や社会的信用は医師と比べるまでもありません。当時、様々な専門家と呼ばれる人が意見を言っていましたので、厚生省(国)が推したい研究者が行政の専門家会議で発言して、TVが報道する。それを国民が信じるというのが流れだったように思います。

 

 

正義感の人

 

本書を読みながら、過去記事IQが20違うと…を思い出していました。

 

ddh-book.hatenablog.com

 

宮沢先生は一言でいうと正義感の人だと思います。コロナ以前から、大手の製薬会社であろうと間違っていることは間違っていると指摘してこられた経緯も本書では語られています。

本書を読めば、今も本心と熱意で行動されているだろうことがよく分かりますが、上手じゃないなとも思います。

 

 

まとめ

 

後から考えれば、あれはおかしかったなと思うことも沢山あります。一方で(誰もがそうだと思いますが)その時できる精一杯を選択していたとも思います。欧米の真似をする必要はないと言われても、世界中の情報がリアルタイムで手に入るインターネット社会では、それも難しいですし、何か大きな力が働いていたとすれば尚更です。

有事の時ほど冷静に物事を見て、様々な意見を聞いて、一段離れたところから論理的に判断することが大事だなと考えました。