歯科衛生士のよみもの

kindle unlimitedで本を読み漁り、感じたことを考察していくブログです。

プラザ合意とバブル崩壊

今回は、1985年の無条件降伏~プラザ合意とバブル~(2018年)を読んで、バブルについてそういう経緯で起きていたのかと学んだので、まとめたいと思います。

 

 

 

 

Wikipediaにも

プラザ合意(プラザごうい、英: Plaza Accord)とは、1985年9月22日、先進5か国(G5)財務大臣中央銀行総裁会議により発表された、主に日本の対米貿易黒字の削減の合意の通称。

と書かれています。

とにかく日本に不利な条件でその後のバブルとバブル崩壊、20年以上続く不況の引き金となる重大な決定であったにも関わらず、日本は日米貿易摩擦の解消のため、日本の経済力はゆるがないと疑わず、楽観的に受け入れたということでした。

 

 

バブル

 

プラザ合意の後、日本を含めた各国の協調によりどんどんと円高が進みます。今ではあり得ないことですが、日銀も政府ももっと円高を望むといった発言を繰り返し、企業が持ち堪えられないところまで来てしまいます。すると、国内の経済を守るため、日銀は金利を何度も引き下げる事態になりました。87年には日本の要請でルーブル合意が締結されましたが、自国の利益を優先するG7からの協調的介入は得られず、ますます円高不況に拍車がかかります。

そして、87年にブラックマンデーが起こると、世界恐慌への不安が増し、政府と日銀は経済対策の大盤振る舞いを始めます。それが、円高によるプラス効果(原油や輸入材が安くなる)が出始めた頃と重なり、日本企業は好決算に沸きました。国内に円がじゃぶじゃぶ余り、バブル景気が到来します。バブルの期間は1988年と89年の2年間を指すそうです。

 

 

 

しかし、年を超えて90年になった瞬間、東証株価は下落し、バブルがはじけました。ところが、誰もバブルがはじけたとは思っていませんでした。バブルの代名詞ともいえるジュリアナ東京は、91年5月にオープンし、94年8月に閉店しています。それだけ、バブルの山が大きく、多くの人が既にはじけていたことに気づけなかったということです。日本人がバブル崩壊を実感として感じ始めたのは、96年、97年頃だそうです。

私は子どもだったので、よく覚えてはいませんが、小学生の頃、ジュリアナ東京のお立ち台の真似をした出し物をしたことがありますし、祖母がバブルで大損をしたという話も聞いたことがあります。

 

 

 

バブル崩壊後は、首相も毎年変わるような政治的にも安定しない時期が続きました。本書では、アベノミクスへの期待を込めて?「失われた20年」と書かれていますが、今は「失われた30年」と言われていますね。

第一の矢:大胆な金融緩和

第二の矢:適切な財政政策

第三の矢:経済の構造改革

アベノミクスの3本の矢ですが、第一の矢だけしか飛んで行かなかったようです。

今の首相も「増税クソメガネ」なんて言われていますが、大地震やコロナもありましたし、なかなか景気回復は難しいようですよね。資本主義の限界なのかなとも思います。

 

 

まとめ

 

プラザ合意の頃、貿易黒字を出し続ける日本は他国から総スカンをくらっており、日本とアメリカの貿易摩擦は、放っておくと戦争にもなりかねない状況でした。だからと言って、自国の経済力の強さを過信し、お人よしにプラザ合意を受け入れたのはやっぱり考えが足りなかったのではないかなと思わざるを得ません。

昔も今も、日本人ファーストで国の政治・経済を考えてくれる人が政治を動かしてほしいと思う今日この頃です。