今回は、「【新装版】小室直樹の中国原論」(2021年)を読みました。
私には中国人の友人もいないし、今後中国で働く予定も無いのですが、三国志を用いながら中国人について説明されているのが理解しやすく、中国人の思考回路が少しだけ分かったのでまとめたいと思います。
中国人は、会社同士の契約や国が定めた法律よりも個人の間の人間関係(人間結合)が重要なのだそうです。ヨコのつながりは、関係の濃い順に「帮(パオ)」→「情諠(チンイー)」→「関係(クアンシー)」→「知人」→「それ以下」となっており、どの関係かによって対応が180度異なります。
帮(パオ)
三国志で言う劉備・関羽・張飛の「義兄弟の契り(桃園の誓い)」や「三顧の礼」で築いた劉備と公明との関係は「帮」に当たります。関羽は曹操を逃しても劉備が庇い死刑になりませんでしたし、公明は劉備が死んでもその子に仕えました。「帮」とは利害から離れ、いかなる制裁も受けない、日本人には理解できないほどの強固な関係性です。
情諠(チンイー)
「情諠」では、口約束さえあれば必ず約束が守られる関係です。契約は必要ありません。ビジネスパートナーになれば最良の情報提供者となり、情諠以外の中国人から守ってくれます。もし、お役人に「情諠」がいれば、どんなトラブルが起きても指導し、解決してくれますが、海外企業が中国人と「情諠」になれることは難しいのが現状だそうです。
関係(クアンシー)
「関係」段階では、契約を任意に破って良いとは思っていないし無制限に事情変更の原則(「事情が変更した」ことを理由に、一旦結んだ契約を変更すること)を適応されたりはしません。貧しいパートナーは金持ちからの援助に無制限に依存することが許され、豊かなパートナーは喜んで援助すべきという価値観です。
知人
「知人」段階では、契約がどこまで守れるかは相手の人格、社会的な条件、状況に大きく左右されるそうです。いつ事情変更の原則が援用されるか分からない、あやうい関係です。三国志の呂布は次々と主人を変えましたが、「知人」だと考えればその行動が理解できます。
知人以下
さらに知人以下ともなれば、ギブ&テイクや契約の概念など存在せず、ぼったくっても裏切っても罪悪感すらありません。ハッキリ言って、カモ。自分にとってどうでもいい存在ですね。
日本人が中国人とビジネスをする場合、「関係」段階まで個人的な関係を持てる人とでないと上手くいかないということが分かります。しかし「関係」段階に行くためには、裏切られてもこちらから出向いて礼を尽くすさねばならないようでした。
また、タテのつながりに「宗族」というものあり、姓を有する父系集団のことです。こちらは東南アジアに移住した華人にも見られるとても強固なつながりで、宗族内では100年経っても同一ジェネレーションの人は兄弟だとみなされます。
宗族内
宗族内の規範は絶対であり、無条件で遵守しなければいけません。富、名誉、権力などは宗族内に配分され、例え中国国外で出会った中国人が同じ宗族の人であれば、平等で対等な兄弟としての付き合いが始まります。もちろん借金に証文など必要ありません。
中国人はいずれかの宗族に属しており、どの宗族にも属さない中国人は居ません。また、二つ以上の宗族に属する二重宗族もあり得ないのだそうです。
宗族外
一方、宗族外の規範は相対的であり、遵守するかどうかは、状況、条件、当事者同士の人間関係、当事者の人格などによって左右されます。二重規範が存在しており、ヨコの関係と同様、外の人間に対する裏切りは日常茶飯事となります。
経済学の視点から見ると、中国では上記に見るように、相手によって物の値段が変わることから、「定価」が存在しません。「一物一価の法則」が成り立たないと、合理的生産計画および合理的消費計画が立てられません。また、自由競争に不可欠な「破産」ができない仕組みになっているそうです。外国企業は毎月赤字を出していても撤退が許されない状況に陥るのだそうです。
著者さんも、「とても、健全な市場主義への道程にあるとは考えられない(1996年初版時点)」と述べており、中国では「契約」の順守を基本とした資本主義では想像を絶する事件ばかり起こっているということでした。