今回は、「全1冊 豊臣秀長 ある補佐役の生涯」(2021年)を読みました。
私は(マジで笑)歴史が苦手なので、戦国時代の武将の名前にも疎くて、半兵衛と官兵衛の違いすら読んでいて分からない有様なのですが、秀吉の弟が秀吉の補佐として支えていたというのがよく分かったし、戦国時代の戦争は資本主義のようだと思ったので、まとめたいと思います。
秀長は今の名古屋市内で百姓として暮らしていました。秀吉とは異父同腹の兄弟だという説があるそうですが、実の兄弟だったのではないかということでした。当時は、兄弟でも殺し合いの地位争いが行われていた中、秀長は終始裏方に徹し、朝夕に秀吉を補佐し続けました。幼少期に一緒に育った訳ではないようなのですが、兄秀吉の性格を熟知し、尊敬していたというのが伝わってきました。
秀長がいつから秀吉の舎弟となったのかは、記録もなく、明確には分かりません。本書では、秀吉が組頭になったころではないかということで物語は進みます。織田信長の兵農分離もまだ浸透していない頃なので、百姓をやめて武士になれと言われても相当当惑したのではないかと思います。秀吉の口車に乗って?百姓を捨てて、兄を支えることになるのですが、絶対に自分は前に出ず、どんなに厳しい場面でも、裏方として支え続けたのには感服でした。特に後半になると、余裕と貫禄さえも出てきているのも感じました。
秀吉の出自については、常に周囲からいろいろと言われます。秀吉にも子ができませんが、秀長も最後まで子どもはできず、親戚の少なさから人材不足にも悩まされます。そんな中、周囲の不満を聴き、人間関係を調整していたのは秀長でした。
また、秀吉の突飛な作戦には、度々大金が必要でしたが、そのお金を集めたのも秀長です。商人や職人とのやり取り、けんかの仲裁などもこなしますし、難しい領地を治めさせても、一度の内乱も起こさなかったそうです。土地の権利をめぐる争いや苦情を銭で解決するという手法は秀長が開発したのだそうです。
秀長、超優秀です。
秀吉が天下統一を果たした後、秀長は大和郡山に築いた城は質素で、自らの功績を伝える伝記を残すこともありませんでした。そして、実は指揮したすべての戦で全戦全勝だったそうなのです。特に、賤ヶ岳の合戦は、手に汗握る決断の連続でした。この兄弟の信頼関係がなければ、到底勝てなかっただろうと思います。
秀吉が没する7年半前に秀長は静かに没しているのですが、秀長の死後から秀吉は身辺をより飾り立て、残忍な処刑を多発するようになったそうです。
よき補佐役の死は、偉大な主役にとっても、その一族や家臣、統治下の民にさえ不幸な出来事だったのである。
秀長という弟がいたから、秀吉は天下統一を果たすことができたし、数々の幸運も、実は秀長が呼び寄せていたのではないかとすら思いました。
本書を読んで、織田信長は合理的で、まさに資本主義社会の大企業のCEOみたいな人だなと思いました。楽市楽座で大金を動かし、兵農分離で農耕期でも戦ができるというのはさぞ強かっただろうと思います。また、秀吉も同じように借金や資金の前借をして大きな仕事を成功させていますが、必ず利益を出さなければいけないというのが株式会社のようだと思いました。
大きな仕事をするためには、大きな賭けに出ることも必要だし、一方、裏方でしっかりと地盤を固めてくれる忠実で絶対に裏切らない補佐役の存在が不可欠になるということが本当によく分かりました。
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