今回も、「哲学的な何か、あと科学とか」(2017年)でお送りします。
本書は(頭は混乱するけど)本当に面白くて、ブログ1回では書ききれません!今回は、「哲学的ゾンビ」についてまとめていきたいと思います。
哲学的ゾンビとは、外見や振る舞いは人間と全く同じでも、内面的な意識や感情(クオリア)を持たない、心の哲学における思考実験になります。Wikipediaには、
脳の神経細胞の状態まで含む、すべての観測可能な物理的状態に関して、普通の人間と区別する事が出来ないゾンビ
と書かれています。本書では、
外面的には、普通の人間とまったく同じように振舞っていながら、内面的には、意識を持たない…主観的体験を持っていない人間
と書かれています。AIロボットのようですね。

そして、ドラえもんのどこでもドアを使ってその不思議で恐ろしい世界を説明します。未来の世界で、ドアAを通り抜けたのび太は生体の分子構造をスキャンされ、目的地のドアXで再生されます。体も脳も記憶も完全に同じ分子構造になるため、ドアXから出てきたのび太は、肉体的にも心理的にも同じのび太です。一方、元のドアAから入ったのび太の体は分子破壊光線により粉々にされ、消滅します。
さて、このどこでもドアで転送されたのび太は本当にのび太と言って良いのでしょうか?哲学的ゾンビではないと言い切れるのでしょうか?
1960年代頃、右脳と左脳をつなぐ脳梁を切断した人に、一方の脳にだけ文字を見せて、それを言葉で話してもらったり、手で取ってもらったりするという実験が行われました。

右目(右脳)にだけコップという文字を見せ、左手(右脳支配)で取ってくださいと言うと、手探りでコップの形をしたものを選んで、手に取ることができました。しかし、本人は「何も見ませんでした。だから、何を取ればよいか、わかりません」と言うのだそうです。さらに、左目(左脳)にだけスプーンという文字を見せて左手(右脳支配)で取ってくださいと言うと、「スプーンを取る」という指示は分かっているにも関わらず取れないということになります。
左脳が見ていても、右脳は見ていないのだから、左脳が見たものを、右脳が選んで手に取るなんてできるわけがない。
確かにそうなのですが、まるで一人の人の中に二人存在してしまったかのようです。
そうなると、その人の魂というようなものは左脳にあるのでしょうか、右脳にあるのでしょうか。
もし、「ボク」という魂のようなものが存在し、「ボク」が死後も永続するような唯一無二の存在であるのなら、「ボク」は「ボク独り」であるはずだ。だから、もし「ボク」が、「左脳」で世界を見ているとしたら、それは脳が分割された瞬間に「ボクという魂が、左脳へ移動した」ということになる。
そうすると、右脳は、「ボク」のいない、つまり、「魂のない脳」ということになり、右脳が、どんなに痛みや悲しみを感じているように見えても、実際には、それを感じる主体が存在しないのだから、ソイツは、自動人形、ロボットということになる。
哲学的ゾンビが生まれてしまいました。人間には唯一無二の魂という存在があるとするならば、同時に魂を持たない人間(哲学的ゾンビ)の存在を認めなくてはならなくなります。
数学者のアラン・チューリングは、「機械は人間のような知性を備えているか」という問いに対する一つの基準として、人間の審査員が、隔離された状況で人間とプログラム(AI)の両方とテキストベースで会話を行い、どちらが機械かを見分けられない場合に合格とするという考えを提唱しました。
ということは、この右脳だけとなった哲学的ゾンビは、体を機械に変えたとしても間違いなく合格判定をもらえるでしょうね。しかし、じゃあ人間とは何なのか?とますます訳が分からなくなります。
どこでもドアXから出てきたのび太は本当にのび太なのか?ドアAで粉々にされたのび太は何だったのか?のび太の意志や魂はどこにあるのか?混沌の世界にハマってみたい方は、ぜひ読んでみてくださいね。すごく面白いですよ。
過去記事「自由エネルギー原理」でも、過去の経験をもとに脳が機械的に予測計算しているだけではないかということでしたが、じゃあ私は何で生まれてきたの?幸せとか、不幸とか、生きがいとか、家族とか、他人とか、一体何なの?と訳が分からなくなります。
たとえ、私が生きている間に本書のようなどこでもドアが開発されたとしても、使わないでおこうと思いました(笑)
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