歯科衛生士のよみもの

kindle unlimitedで本を読み漁り、感じたことを考察していくブログです。

不完全定理

今回は、哲学的な何か、あと科学とか(2017年)を読みました。

 

 

著者さんは会社経営者ということですが、すごく分かりやすくて面白かったです。特に勉強になったし、今後も活かせそうだと思った、不完全定理と論理実証主義についてまとめたいと思います。

 

 

不完全定理

 

数学者クルト・ゲーデルが発表した2つの定理で、形式的な数学体系には限界があることを示しました。

以下はCopilotからのコピーです。

第一不完全性定理

自然数論を含む一貫した形式体系には、真であるにもかかわらず、その体系内では証明できない命題が必ず存在する」

第二不完全性定理

自然数論を含む一貫した体系は、自分自身の無矛盾性をその体系内で証明することができない」

よく分からないですね。

 

 

自己言及のパラドックス

「私は噓つきです」と言う人がいた場合、この言葉が「真実」であれば、その人は「噓つきである」ことになりますが、そうすると「噓つきなのに、真実を言った」ことになります。一方、この言葉が「噓」だとすれば、その人は「正直者」ということになりますが、そうすると、「正直者なのに、噓を言った」ことになってしまいます。

さらに、その人が「私は正直者です」と言った場合にも、その言葉は「正直者」の場合も「嘘つき」の場合も正しいということになり、どちらなのか分からなくなってしまいます。

ようするに、「おれって正直者(噓つき)なんだよねー」と、自分で自分のことを言及したところで、自分では、その言葉の正しさを絶対に証明できない、って話だ。

このような、自分自身について真偽を確かめようとするときに発生してしまうパラドックスを一般に「自己言及のパラドックスと言うそうです。

そして、このような自己言及のパラドックスが、数学においても同様に発生することが証明され(第1定理)、数学理論において、証明不能な命題を含むということは、自らの体系が正しいと証明することが不可能であるということが導かれる(第2定理)ということでした。

 

 

注意点

この不完全定理を、したり顔でSNSに投稿するのは危険です。「すべての理論体系は不完全である。なぜなら不完全性定理によって『証明』されたからだ」などと単純な言い方をすると、数学畑の人からめっちゃキレられるそうです(笑)。「すべて」ではなく、「特殊な条件下」で証明ができないよということですね。

 

 

科学の証明法①帰納法

 

1600年頃、ベーコンは、「帰納法を用いて、科学は作られるべきだ」と主張しました。帰納法」とは、 複数の個別的な事実や観察結果から共通点や傾向を見出し、それらを根拠にして一般的な結論や仮説を導き出す推論方法です。

しかし、ドリカムの歌のように、10,000匹のカラスが黒かったとしても、10,001匹目も黒いとは限りませんよね。さらに、「理論を支持するデータがたくさんあれば、「どんなに独りよがりで噓っぱちな理論でも、ある程度、データが揃っていれば、科学的に正当な理論だと称する」 ことができてしまいます。そのため、思い込みの激しいエセ科学者や心理学者、経済学者などが無茶苦茶なことを言い始めてしまいました。

 

 

科学の証明法②論理実証主義

 

そこで、ウィーン学団という哲学の研究グループが「論理実証主義」を提案します。WEBで検索すると以下のような特徴があると説明されていました。

経験主義の重視:
知識の源泉は経験であり、観察に基づいた実証科学の方法を重視します。 
論理分析:
哲学の役割は、科学の言語を論理的に分析することにあります。 
意味の検証理論:
経験によって検証できる命題のみが有意味であり、神学や形而上学の言明は意味をなさないとしました。 

ところが、ウィーン学団がこの世のあらゆる科学を精査した結果、論理実証主義のお眼鏡にかなうホンモノの科学はひとつもない…ということになってしまいました。

 

 

科学の証明法③反証主義

 

そこに、カール・ポパーが現れ「反証主義」を提唱しました。反証主義では、科学的仮説は実験や観察によって間違いを証明される可能性(反証可能性)を持つべきだと考えます。ポパーは、

理論というものは、反証による検証でしか正否(白黒)を決められないのだから、正統な科学理論が満たすべき基準とは、反証による検証がきちんと行えることである

と考えたそうです。 これにより人類はようやく「科学と疑似科学を分ける境界線」を発見します。これはつまり、「科学とは、今のところまだ反証されていない仮説にすぎない」ということを意味しました。

そして、その「反証」ですら確かな検証方法にはなり得ません。人間は全く同じ前提条件を作り出すことができないのです。さらに、「ある実験Aが正しく実行された」と述べるためには、その実験で使っている装置が壊れていないことを確かめなければいけません。それを確かめるための実験Bが行われたとしても、その実験で使っている装置が…と前提条件を確かめる方法さえも原理的に存在しないのです。

 

すべての科学理論は「反証不可能」な疑似科学なのである

 

元も子もない話ですが、ポパーは以下のように述べているそうです。

結局、このような疑いを乗り越えて、何らかの科学理論を構築するためには、どこかで疑いを止める地点を<決断>しなくてはならない。

 

 

まとめ

 

結局、絶対的に正しく、絶対的な科学を人類は見つけることができないのかもしれません。本書では量子力学の重ね合わせの話も書かれていますが、これらをもとに読むと、また全然違った印象を受けます。これまでの科学や法則と呼ばれるものは、そもそも全部間違いなのではないか?とも思ってしまいます。

歯科でも、よくエビデンスベースドメディスンが大事なんだと、「エビデンスはあるの?」としつこく聞く先生(歯医者さん)がいますが、エビデンスって何だっけ?と訳が分からなくなってしまいました。誰にも絶対的な確かさはわからないし、調べることもできないけれど、今のところ一番確かっぽいというのが科学(エビデンス)だったんだなと、とても勉強になりました。