今回は、「嘘だらけの日本古代史」(2023年)を読みました。
本書の著者さんは皇室史学者ということで、古代からの皇室の歴史を詳しく説明しています。過去記事「古事記」で古事記と日本書紀で書かれている内容が微妙に違うらしいということだったのですが、著者さん曰く、正史は日本書紀だということです。
『古事記』と『日本書紀』のヤマトタケルの違いだけでなく、文献の少ない古代史をどう理解するのかも面白いなと思ったので、まとめたいと思います。
『古事記』と『日本書紀』では、登場する神様の名前が違うみたいです。しかも、1回しか登場しない神様も多発。著者さんも「勘弁してください」だそうですよ。わたしもそう思ってました(笑)。そして、『日本書紀』では、天地開闢神話だけで異説が6説も付属しており、それぞれの説に出てくる神様の名前も微妙に、あるいはまったく違うということでした。
『日本書紀』は一部の記述を除き、当時の国際公用語だった純漢文で書かれています。さらに、『日本書紀』は天皇の命により朝廷の事業として編纂された「正史」になります。
一方『古事記』は、諸家に伝わっている帝記と本辞に間違いがありすぎるのでそれを正すべく、暗示に秀でた稗田阿礼に読み習わせたものを太安万侶(←歯周病もち)がまとめあげ、元明天皇に献上した私家版歴史書だということでした。しかも、『日本書紀』は平安時代初期の写本が最古であるのに対し、『古事記』は成立したとされる712年から660年後の1372年に写本されたものが現存最古だということでした。
うん、なんとなく2つの書の関係がわかってきた気がします。
さて、問題のヤマトタケルですが、『古事記』では九州地方と出雲を制圧して帰ってきたヤマトタケルに、景行天皇はすぐに東国征討を命じています。女装用の衣装を借りた叔母さんのヤマトヒメに「父上は私に死ねと思っていらっしゃるのでしょうか」などと愚痴をこぼし、泣く泣く出かけます。

一方『日本書紀』では、九州から帰って12年も後に「東国の蝦夷が背いて辺境が同様した」ために、ヤマトタケルが遠征します。ヤマトタケルは自ら名乗り出ており、景行天皇もヤマトタケルをたいへん評価している様子だということでした。
皇室史から『日本書紀』を見ると、景行天皇の次の第十三代成務天皇はヤマトタケルの弟になります。これは、神武天皇依頼の父子継承が止まることを意味します。著者さんは、『日本書紀』自体が「困ったときは、どうすればいいか」の先例解釈集なのだと説明していました。
『日本書紀』は全巻合わせても500ページほどしかなく、ハリー・ポッターシリーズの1冊くらいの分量であり、無限大にSF化してしまう危険があります。著者さんは、古代史の鉄則として、どうしてそのような伝えられ方をしたのかが大事だと述べます。特に奈良時代は皇室の前例破りが横行し、より戻しのように平安時代には先例が確立され、掟となっていきます。この辺りを読み解くのに皇室史という視点から見るというのは大事だということですね。

日本だけが公称2683年、控えめに言っても1800年もの間、一度も途切れずに皇室が続いてきました。そして、この歴史を続けるのか、続けないのかは、「続けたいか、続けたくないか」という日本人の意志だけになります。歴史上のある時点で「もうやめた」と決めてしまえば簡単に終わっていたものが、日本人の「続けたい」という意志がこれまで勝ち続けてきたということです。奇跡のような国だと思います。
前にも書きましたが、私は小学生・中学生のころ、「天皇って嫌い、変な敬語使って意味わかんない」と思っていました。それもこれも、学校教育で「象徴」というよく分からないものだと教わっていたからです。大人になって、日本を作った神様の子孫だと知って、それはそれは驚いたものです。
今の若い人たちも、私のように皇室をよくわかっていない方が多いのではないでしょうか。皇室関係のX投稿では、必ずアンチコメントがつきますよね。最近は、それを見ると、日本人なのに…と、なんだか悲しくなってしまいます。日本の正史なのだから、もうそろそろ、学校教育でも『日本書紀』や『皇室史』をしっかり教えてよいのではないでしょうか。私は、この日本の皇室の歴史を続けたいと思っている日本人の一人です。
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