今回は、「日本はなぜ敗れるのか 敗因21ヵ条」(2006年)を読みました。
本書は、過去記事「日本の空気について」でも紹介した山本七平氏の本です。そして、第二次世界大戦時に小松真一氏の残した手記をもとに、日本軍の敗因について考察している本になります。すごい内容で、ぜひ読んでみられることをお勧めしたい本ですが、特に気になったことをまとめたいと思います。
小松氏は、陸軍専任嘱託として徴用され、ガソリンの代用となるブタノールを粗糖から製造する技術者として、敗色が濃くなった昭和19年1月に比島(フィリピン)に派遣を命ぜられます。その後、 米軍上陸によりネグロス島のジャングルに逃げ込みますが、投降し捕虜となります。レイテ島からルソン島に捕虜として移った後、記憶を呼び起こして書き連ねたのが「虜人日記」になります。
骨壺に隠され日本に帰国し戦後30年間、著者が亡くなるまで銀行の金庫に眠っていたそうです。それを奥さんが見つけて、公開したということでした。
なお、著者さん自身も過酷な捕虜生活を経験しており、紙や鉛筆も手に入らない環境の中で8冊も書いたこと、骨壷すら捨てられた状況の中、無事に持ち帰ったことには驚いていました。
著者さんも小松氏と同様、バシー海峡こそが日本の敗滅だと述べます。バシー海峡というのは、台湾島南東の蘭嶼(蘭島)に隣接する小蘭嶼(小蘭島)と、フィリピン領バタン諸島(バシー諸島)最北のマヴディス島との間にある海峡を指します。

小松氏が乗船した船は、一見してスクラップのボロ貨物船でした。そんなボロ船に三千人も押し込み、トイレはなく、甲板の端に設けられた木造の小屋から垂れ流している状態だったそうです。そして、当時の最優秀船でさえ、米軍の魚雷にあっけなく沈まされる状況の中、小松氏は何とか目的地にたどり着きます。著者さんは、すべての船が、早かれ遅かれ世界史上最大能率の大量溺殺機械として活用されただけとまで言っており、アウシュヴィッツよりも悲惨だと述べます。
さらに信じられないことに、そもそも現地にブタノールを作るための糖がないことが判明します。仕事がないので国に帰りたいと言っても、3年は帰れないと言われ、結局、終戦となり小松氏は米軍の捕虜となるわけです。
収容所では、4つの区画(将官、将校、兵、外国人)に分かれ、各々が自治制をしいていたそうです。
- 将官区画
ほぼ全員が高等教育を受けた人。人数が少なくほとんどが老人で、実質米軍の直接統治になっていた。 - 外国人区画
よくわからないが、一番よくまとまっていた。 - 将校区画、兵区画
将校は、社会人としてゼロに近い人が多い。実行力がなく、陰湿で気取り屋で、品性下劣な偽善の塊だった(メッキが剥げた)。一方、兵隊は思ったことはどんどん言い、実行力がある。兵隊たちはいつも将校の悪口を言っている(人格の優れた将校に対しては決して悪口を言わない)。
一握りの暴力団に完全に支配され、全員がリンチを恐怖して、黙々とその指示に従うことによって成り立っている秩序となり、特に将校区画がひどかった。そして、見かねた米軍に暴力団は一掃された。
日本の敗因21か条の中にも「指導者に生物学的常識がなかったこと」や「日本は人命を粗末にし、米国は大切にした」とありますが、本書でも、生物本能を無視したやり方は永続するものではないと述べられています。ジャングルでの過酷な状況は筆舌に尽くしがたいものがありますが、ふらふらになりっつ、食欲だけは猛烈な様子は餓鬼そのものだと表現しています。さらに、骨と皮だけになり、目はギラギラと光り、ガスが腹部に充満した姿になると、それはもう人間とは別の生物と考えたほうがよいと言います。他人は餓死しても自分は生き延びようとし、人を殺してまで食うようになるということでした。そうならなかった人間も千人に一人いるかいないかぐらいの割合でいたそうですが…
壮絶すぎて、読みながら開いた口が閉じない状況になってしまいましたが、本書の元となっている「虜人日記」は、何年も後から回想して書いたものではなく、当時、その時その場で書かれたものになります。そのため、大変価値のある資料だと言えます。夏休みの宿題などで、「戦争について調べる」というような際には、とても参考になる本ではないでしょうか。
本書を読んで改めて、戦争はしちゃダメだと思ったし、息子たちの舐めた態度を見て、イラッとしてしまいました。とは言え、食べ物がない極限状態では人の本性が現れるそうです。そのような状態にはならないような世の中にしてあげたいなとも思いました。
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