今回は、「宇宙シナリオからのメッセージ」(2015年)を読みました。
本書の著者さんは、ある夜突然、覚醒を体験し、「神は外におらず、我が内に。いや自分自身が神そのものであり、宇宙の中心(王)であった」と悟ります。その体験以降、自分の内側から言葉が溢れるまま長文ブログを毎日更新し、導かれるように本書に至ったということでした。翌年にも「宇宙が教えてくれた 幸せになるお告げ」(2016年)も出されています。
本書に書かれていたスピリチュアル的常識破壊が面白かったので、整理しておきたいと思います。
これは、運命論と呼ばれるやつですね。

イエスは弟子に裏切られ、その後無実の罪で十字架刑に処せられました。ブッダも、弟子に殺されかけ、最後は食中毒で死んでいます。もし「意識万能説」、「引き寄せ」や「意識を用いればすべてが可能」という考え方を採用するなら、起きることはすべて意識の投影、つまり「本人に原因がある」ということになり、イエスやブッダ自身に何か「問題があった」という理屈になってしまうというのが著者さんの主張です。
「いくら意識の在り方が完璧でも、それとは関係なく起きてしまうことというのはある」ということが言いたいのだ。イエスもブッダも心の在り方は満点だったが、それとは関係なく「起きることが起きた」のだ。言い換えれば、「意識だけが、起きることのすべてを司っているのではない」ということだ。
ゲームの中のマリオのように、シナリオは決まっているけれど本人はそれを知らず、一生懸命にピーチ姫を助けるために走るしかないというのが人間かなのかも知れません。死のうとしても死ねなかった、過去記事「日本出身、地球人」の壮絶な人生のことを思い出しました。
空というのは、根源的存在で、二者以上の関係が存在しない、次元を超越した存在になります。主語を必要とする私たちが、 二元性世界の住人である人間風情が、絶対なる、唯一なる空を考察するなんて、暴挙以外の何者でもないというのが著者さんの主張です。
だから、空のことなんて真剣に考えたり腑に落とそうとしたりするヒマがあるなら、今夜のオカズは何にしようとか、週末は何をして遊ぼうかとか、もっと地に足の着いた現実的な喜びを追ったほうがはるかに建設的だと思う。
目の前の今を懸命に生きろ、そういうことですね。生死の境をさまよい、同じく覚醒を体験したアニータさんもそう言っていました。
この世界で「真理はひとつ。正解はひとつ」と考えることが、いかにこの世界を不幸にするか考えてみたことはあるだろうか。

宗教戦争でもみられるように、個性も、生きる背景もまったく違う者たちの間では、永遠に意見が平行線をたどり、妥協点を見つけ出すことはできないというのが、著者さんの主張です。人が、その都度「真理だ」と思うことが真理なので、価値観の統一なんてものは、妄想です。
異なる信念同士が尊重し合う世界、著者さんが言うところの、学校の部活動のような、それぞれが気持ちよく活動できる世の中を目指してはどうでしょうかということでした。
これには同意するしかないですね。私もそう思います。
それを言っちゃあ…という気もしますが(笑)、たとえ覚醒の体験者であっても、状況によって、また誰に語るのかによって、(相手の年齢、性別、性格、心理状態、スピリチュアルを信じるか否かなどによって)言葉選びや強調点も変わってくるため、表面的に矛盾する場合があるのだという説明でした。
人間のエゴ(自我)という矮小な認識範囲では捉えきれない世界を人間の言葉のみで語るには限界があり、その細部の整合性を突き詰め、検証するのは時間の無駄だということだと理解しました。それよりも、今目の前にある喜びや楽しみに時間を使った方が良さそうですね。
本書のレビュー評価はすごく極端で、高く評価する人と最低評価の人とで分かれていました。確かに、引き寄せが好きな人(私も大好きですが…)は多少なりともショックを受ける内容かも知れませんね。運命論というのも頑張っても無駄、自分でできることはないと思ってしまうと、信じたくなくなります。
とは言え、今後、どんな辛く苦しい修行したとしても、覚醒を経験できるかどうか分からないというのであれば、目の前の今を一生懸命、できるだけ楽しく生きるしかないよなと、妙に納得しました。

