歯科衛生士のよみもの

kindle unlimitedで本を読み漁り、感じたことを考察していくブログです。

カント_永遠と平和のために

今回は、NHK「100分DE名著」ブックス カント 永遠平和のために(2020年)を読みました。

 

 

カント哲学は有名ですが難解で、特に有名な三批判論は私も多分チャレンジした(と思うww)のですが、分からなすぎて毎回断念しています。しかし、「永遠平和のために」はページ数も少なく、そこまで難解ではないということで、下記の本も読んでみました。

 

 

 

カントはどのようにすれば世界平和が達成されると考えたのかまとめたいと思います。

 

 

戦争状態がデフォルト

まず興味深かったのは、カントは人間を邪悪な存在と捉えており、「人間には戦争を好む傾向が生まれつき備わっている特性があるように思われる」といった趣旨のことを書いていることです。人間の本性を善良なものだと考えるならば、平和を探求するのは容易であり、戦争というのは逸脱的なものとして位置づけられます。しかし、カントは自然状態とは戦争状態であるという立場から、「どうしたら戦争を起こりにくくさせるか」と考えていきます

 

 

 

戦争が起こりにくくなるような社会の仕組みとしては、「法的な状態」が必要だと考えます。社会の成員みずからが従うべき法を定め、誰もが等しく公平にその法に従う体勢のことで、共和的な体制を指します。カントは第二章で「国家間における永遠平和のための確定条項」の中で考察しており、三つの確定条項とは以下のようなものです。

◆第一確定条項  どの国の市民的な体制も、共和的なものであること

◆第二確定条項  国際法は、自由な国家の連合に基礎をおくべきこと

◆第三確定条項  世界市民法は、普遍的な歓待の条件に制限されるべきこと

共和的な体制の条件としては①各個人が社会の成員として自由であるという原理が守られること、②社会のすべての成員が臣民として唯一で共同の方に従属するという原則が守られること、③社会のすべての成員が国家の市民として平等であるという法則が守られることの3つが必要です。なお、カントの言う自由は、自分達がしたがう法は自分たちで決めることができるという意味での自由になります。

 

 

国家の在り方

 

第二確定条項にある「国際法」というのは、どのように作るのかというと、

国家としてまとまっている民族は、複数の人々のうちの一人の個人のようなもものと考えることができる。民族は自然状態においては、すなわち外的な法にしたがっていない状態では、たがいに隣あって存在するだけでも、ほかの民族に害を加えるのである。だからどの民族も、みずからの安全のために、個人が国家において市民的な体制を構築したのと同じような体制を構築し、そこでみずからの権利が守られるようにすることを、ほかの民族に要求することができるし、要求すべきなのである。ただしこれは国際的な連合であるべきであり、国際的に統一された国際的な国家であってはならない

と書かれています。個人が国家を設立して法的状態を確立したように、各国家もほかの国家との間で法的状態を確立しなくてはならないということです。

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近年、「GAFAM」のように世界中で経済活動を行う企業が増えてきて、戦争の問題、格差の問題が大きくなってきている中、世界国家の必要性が謳われることもありますが、カントはこれを明確に否定しているということが分かりました。もし、多数の民族が世界国家へと統合されることになれば、そこには支配する民族と支配される民族という分割が生じ、帝国主義や植民地支配と何ら変わりませんね。そして、カントによれば、この国際的な連合はあくまでも永遠平和が実現されるための前提条件なのであり、十分条件ではないということでした。

 

 

歓待の条件

 

では、第三条項にある「世界市民法」についてですが、

ところでいまや地球のさまざまな民族のうちに共同体があまねく広がったために(広いものも狭いものもあるが)、地球の一つの場所で法・権利の侵害が起こると、それはすべての場所で感じられるようになったのである。だから世界市民という理念は空想的なものでも誇張されたものでもなく、人類の公的な法についても、永遠平和についても、国内法と国際法における書かれざる法典を補うものとして必然的なものなのである。そしてこの条件のもとでのみ、人類は永遠平平和に近づいていることを誇ることができるのである。

とカントは述べています。国際法は国家と国家の関係を対象とするので、国家をこえた人びとの交流における法・権利の侵害から各人を守ることには適していません。また、国内法も国境をこえて活動する自国民を保護することには限界があります。そのため、国家をこえて交流する人びとの権利の保護を対象とするような普遍的な世界市民法の理念が国内法や国際法とは別に求められるということです。

 

そこで出てくる「歓待の条件」というのが、今の日本にとても当てはまる、考えさせられる内容だったのでさらに引用します。

ここで歓待、すなわち〈善きもてなし〉というのは、外国人が他国の土地に足を踏みいれたというだけの理由で、その国の人から敵として扱われない権利をさす。その国の人は、外国から訪れた人が退去させられることで生命が危険にさらされない場合にかぎって、国外に退去させることはできる。しかし外国人がその場で平和的にふるまうかぎりは、彼を敵として扱ってはならない。

「もてなし」というのは、日本人にはどうしても博愛的で過剰なサービスを想起させてしまいますが、カントは「客人の権利」と「歓待の権利」を明確に分けて考えています。

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客人の権利と歓待の権利

 

国が移民を受け入れるためには、その国の政府は彼らに対して言語の習得を手助けしたり、職業訓練の機会を提供したり、あるいは彼らが職に就けないようなら生活保護などの社会保障を与えたりしなくてはいけません。そうしたサービスと移民が受けることは「客人の権利」です。そして、この「客人の権利」を外国人が享受するためにはさらに特別な条約が締結されていなければいけません。

第三条項でカントの言った「歓待の権利」というのは、訪問の権利:外国人が他国の土地に足を踏み入れた時、彼らが平和的にふるまう限り決してその国の人から敵として扱われない権利」であって、その国に移住しても構わないという「客人の権利」ではありません

近年、日本も外国からの移住者が増えて色々と問題になっていますが、カントは1990年代に既にこのことを指摘していたというのは驚きです。

 

 

まとめ

 

本書では、第二条項の追加条項として秘密条項というのがあり、平和をもたらすための条件については、哲学者に助言を仰ぐべきであり、オープンに議論させよと述べています。カント、頭良すぎですね!

本書を読みながら、もしカントがプロイセンではなく日本に生まれ、日本の縄文時代には争いの痕跡がみられないこと、平安時代は200年も平和だったことなどを研究していたら、全く違うことを書いていたのではないかな~宇宙人がいたらもっとややこしいことになるな~と考えていました。

本書を読んで、人間は放っておくと戦争を始めてしまうが世界国家ではダメだとカントは考えており、なぜ国際連合が必要だったのかということが理解できました。