今回は、「SLAPP スラップ訴訟とは何か: 裁判制度の悪用から言論の自由を守る」(2015年)を読んで、スラップ訴訟というものを学んだので、整理したいと思います。
スラップ訴訟とは、Wikipediaによると、
金銭的余裕のある側が、裁判費を相手に負わせることを目的とし、最終的に敗訴・棄却されるであろう事例に「名誉毀損」と主張する加罰的・報復的訴訟を指す。
と書かれています。
本書に書かれている、スラップの特徴は以下の9点です。
- スラップは民事裁判である
- 公的な意見表明(Public Speech)をきっかけに提訴される
- 訴訟によって相手に裁判コストを負わせ、苦痛を与える
- 提訴者は「不法状態を判決で改善する」や「心理で真実を解明する」など裁判本来の機能を必ずしも目的としない。重要視しない。
- 提訴の背景に公的問題が存在する。原告と被告はその公的問題の当事者(利害対立者)である
- スラップ訴訟の法廷の中で争われる論点は⑤の公的問題とは関係がない。あるいは法廷内の論点に矮小化される
- 被告は「事実争いの泥沼」に引きずり込まれる。
- 論点がすり替えられる。本来議論し解決すべき公的な問題が放置される。
- 提訴により受ける苦痛のために、被告は公的な発言をためらうようになる。沈黙する。そうした「見せしめ」によって、他の批判・反対者も恐怖を感じて公的発言を控える。原告は批判や反対を封じることができる。=「萎縮効果」
日本では、「民事裁判を提訴する権利」が保証されています。そして、提訴する理由も自由、提訴する相手も自由、請求金額も原告が自由に決められ、遠方の裁判所に提訴することで被告の移動費負担も増やせます。すると、下記のようなスラップ訴訟が合法的に利用され、口封じとして使われるという事態が起こっています。
本書には様々なスラップ訴訟の実例が載っていますが、特に悪意があるな、これはダメだよと思ったのは高層マンション建設をめぐる住民の反対運動から起きたスラップ訴訟です。
フージャース社は「複数の妨害行為によって工事が遅れた」と、その損害の賠償として2000万円を最大70人ほどいた反対住民の中で、リーダーでもない、たった3人に請求しました。提訴を無視してしまうと「相手の言い分をすべて認めた」ことにされてしまいます。一方、応訴すれば弁護士費用と裁判にかける時間や準備、打ち合わせなどで時間とお金が奪われます。
フージャース側は「のぼりや看板、HPを撤去しないと(日照や電波障害の)対策費を支払わない」と住民に伝えてきて(対策費と裁判は対象も内容も関係ありません)、近隣の何人かは「いつまでもあの3人がしつこく抵抗しているから、もらえるお金ももらえない」と言い始めます。住民の心は分断され、結局、疲れ果てた3人はフージャース側の望む条件で和解に応じたということでした。
和解の条件は、「ホームページの閉鎖」や「看板やのぼりの撤去」「反対運動の中止」であり、裁判の争点である工事妨害の有無にはまったく関係のない内容だったそうです。
この訴訟は「工事の遅延で生じた損害の賠償をすること」ではなく「マンション反対の意見表明を封じること」が目的だったということです。
これは国民の訴訟する権利に基づいているので合法だと言うのですから、何か法的な対策や規制が必要なのではないかと思いますよね。
一方、アメリカのカルフォルニア州法では「反スラップ法」(Anti SLAPP Law)が定められています。裁判所が「この提訴はスラップである」と認定した場合、裁判を起こした側は自分たちが雇った弁護士だけでなく、訴えた相手の弁護士費用の支払いまでも命じる仕組みになっています。
川の上流で工事を始めた採掘会社「ノース・コンテント」に対して、住民団体「ドライ・クリーク連合」(Drycreek Coalition)は、水質検査や工事現場の空撮を依頼したり、所管官庁に手紙やメールで陳情しました。すると、採掘会社の弁護士から「企業秘密の漏洩」「私有財産の侵害」だとして100万ドル(1億円)の請求が運動に参加した全員に届きます。住民たちは困惑したものの、スラップに詳しい弁護士に相談し、これはスラップだとして動議を出します。すると、州法の規定通り裁判はその時点でストップ、住民側の時間や金銭の負担も止まりました。
そして、裁判所は「本訴訟はスラップである」と認めて訴えを却下し、裁判は審理に入らないまま1年余りで終わったそうです。裁判所は採掘会社に住民側の弁護士費用2万4000ドルを払うよう採掘会社に命じ、環境アセスメントを実施するよう命じる判決も別に出たということでした。
住民達は採掘工事による水質汚染や環境の悪化を懸念して公的活動していたのであり、採掘会社はその活動をやめさせたかった、 つまり「企業秘密の漏洩」や「私有財産の侵害」を証明して100万ドル(1億円)を巻き上げたい訳ではなかったということです。
本書にはスラップ訴訟に当たる事例が多く紹介されていますが、ポイントは公共性(5.公的な問題があるかどうか)と悪意(9.萎縮効果)の有無なのではないかと思いました。事例の中には、提訴された時点で公共性がある問題が背景にあり、悪意があると言えるかな?と感じるものもあったからです。私には少なからず双方に悪意があるのでは?提訴する側にもそれなりの事情がありそうだ、公共性は後付けでは?と思ったのです。
本書でも述べられていますが、裁判所はスラップを認定する根拠になる法律そのものがないために判断できないのだそうです。しかし、本書をきっかけに近年では判例や裁判例もある程度蓄積していて、もとんでもない金額の賠償金が請求されるというのも減っているようなので、もし、自分が訴えられた時は詳しい方に相談してみると良いですね。
本書を読んで、民事裁判を提訴する権利を悪用して個人を追い詰めるスラップ訴訟はやっぱり規制すべきだろうと思いました。本書に載っているように、でっち上げの証拠でも提訴でき、相手に大きな金銭的、時間的、精神的な負担を負わせて追い詰めるという方法はやっぱり容認できないと思います。
一方、日本国憲法第21条で保障されている言論の自由(個人が言論によって思想や意見を発表する自由)というのは大事だけど、SNSの影響、ヘイトスピーチの問題、政府の検閲など、どこまでが個人の自由に当たる部分なのかというのは難しい問題で、むやみやたらに自分の意見を発言するのは怖い世の中だなと思ってしまいました。