私は大の車好きで、少し前はマツダのミッション車に乗っていました。独身時代は少ない給料を貯めまくってプジョー206㏄s16(MT)を買い、休日になると一人で山へドライブに行っていたと言えば、私の車好き度がどの程度なのか伝わるでしょうか。
最近スバル車に乗り換えたのですが、スバルって昔から男子に人気ですよね。スバル好きが男子口々に言うのが、「零戦のエンジンは現SUBARU社が開発したものだ」というものです。零戦は一時期、世界一の戦闘機だったということは知っていますが、詳しいことは全く知りません。
そんな中、零戦のパイロットだった坂井三郎の「大空のサムライ」が世界中で出版された良書だと他の本で紹介されていたのですが、kindleunlimitedでは読めなかったので「坂井三郎と零戦」(2014年)を読んでみました。
坂井三郎
Wikipediaには以下のように書かれていました。
坂井 三郎(さかい さぶろう、1916年8月26日 - 2000年9月22日)は、日本の海軍軍人。ポツダム進級により最終階級は海軍中尉。太平洋戦争におけるエース・パイロット。著書『大空のサムライ』で有名。撃墜数は自称64機だが、後述のように公認撃墜数は28機である。
Wikipediaを見ただけでもかなりの分量で書かれており、研究者やファンが沢山いると思われます。
本書によると、佐賀出身で幼い頃はガキ大将、17歳で海軍に入り最下層の4等水兵から厳しい軍隊生活を経験しています。エースパイロットとして活躍していましたが、ガダルカナルの戦いで重傷を負い戦線離脱、教官を経て硫黄島で戦った後終戦となり、84歳で没したそうです。
下級兵の食事改善を求めて食堂で銃を放ったり、後輩の指導に熱心で、ちゃんと眠れているのかまで確認していたりと人情味の熱い面が垣間見られました。また、零戦にカメラを持ち込み、戦闘中も写真を撮っていたのだそうです。何という余裕でしょう。
零戦は初心者でも乗りやすい
零戦についてですが、私の記憶通り一時期(昭和16年初頭~17年後半まで)は世界最高の戦闘機でした。軽く運動性の良い機体が選ばれ、速度、運動性、上昇力のバランスの良さが最大の長所だったそうです。また、戦闘機であるにも関わらず、操縦が極めて容易であり、左右の主脚の設置部分の間隔が広く、初心者でも転覆の可能性がなかったという特徴もあります。落下式タンクを搭載し、滞空時間、航続力も大きかったため、往復2000㎞+交戦15分にも耐えたそうです。

過酷な空での戦闘
とはいえ、1人で往復2000㎞+交戦15分を行うのはパイロットには大きな負担です。また、当時はGPSなどもないため、コンパスと夜空の星や海面と太陽との角度で航行していたのだそうです。坂井は自分専用の航法計算尺を竹で作り、使用していたというので、頭も良い人だったのだと思いました。
また、空の上はかなりの寒さとなります。戦闘機パイロットがモフモフした毛皮の服を着ているのはその対策だと分かりました。その時、アメリカ軍のパイロットは暖かい機内で優雅にコーヒーを飲みながら操縦していたそうなので、ものすごい資金力や技術力の差を感じます…。トイレも付いていたりして。
さらに過酷なのは、日本の搭乗員はほとんどの場合パラシュートを装着せず、もし敵弾が命中して帰校が不可能になれば”自爆”しなければならないということです。パイロットの養成には莫大な時間、手間、費用がかかるのですから、このようなやり方では戦争で負けるのは当然ですね。
日本らしい負け方
本書では、日本軍の陸・海・空軍がバラバラだったこと(縦割り)や能力を無視した階級制度(年功序列)、エリート官僚についても述べられています。まさに日本だな、今と全然変わらないなと思いました。超エリートパイロットだった坂井も「呆れるほど遅い昇進だった」と書かれています。
第二次世界大戦に関する本を読むといつも思うことですが、もはや負けるしかなかったし、日本らしく負けたとしか言いようがないなと思いました。
まとめ
私個人としては、本書を読んで「やっぱり戦争は嫌だ」としか思いませんでした。私には、日本フェミニズムの方が深く心に宿っている気がします。
スバルも零戦を作っていた時よりもずっとずーっと進化していますよ!アイサイトで安全だし、荷物も沢山乗るし、乗り心地も走りも最高です(燃費が良いともっといいけど!)。クラッチ踏んでギアチェンジはできないけど、パドルシフトでMT感は味わえます(燃費が良いともっといいけど!)。
今年の終戦記念日は、息子達と一緒に、平和を願って祈りたいと思います。

